‘税理士からの投稿(税理士の現場)’
税理士T子さんの開業物語(前編)
今回の税理士の現場からの投稿は、以前このブログで紹介しました「冬来たりなば春遠からじ」のSさん(今回はT子さん)からの開業物語です。(以下、投稿です)
早いものでおよそ10年に渡る受験時代にピリオドを打ち、税理士登録をして約8年が過ぎました。放浪の武者修行にも区切りをつけ、生まれ育った町に戻ったのは税理士登録後2年半を過ぎた頃でした。15年ぶりに戻った故郷は、高校生の頃と何も変わっていないかのように感じられました。
地元に戻って早5年。現在、私のクライアントは個人の方がメインです。一口に“個人”と言っても様々です。お商売をしている個人事業主、不動産所得を申告する地主、突発的な相続・贈与・譲渡があったサラリーマンや主婦などなど。後者になればなるほど、これまで税制など気にしたことがなかった人々になります。
難しい話をいかに“やさしく”説明するか!ここが私の腕の見せどころ。“やさしい”は、“易しい”であり、“優しい”でもあります。大法人の経営者にとって当たり前のことでも、一般の人にとっては専門用語は難解でチンプンカンプン。これを“易しく”説明できてこそ専門家だと思います。
また、どんなに正しいことを言っていても、相手に気持ちよく聞いてもらってクライアントの心に響かないとわかってはもらえません。ここで活きてくるのが“優しさ”だと思います。一昔前の税理士さんの中には先生然とした殿様商売の方もいらっしゃいました。
しかし、私は税理士業というのはある種サービス業だと思っています。コミュニケーションが取れなければやっていけない仕事です。パソコンや資料を見ているだけではできません。
私は、元からの性分もあるのでしょうが、あまりビジネスライクにならず、親切丁寧をモットーにお仕事しているつもりです。この辺は、気楽な弱小個人事務所だからできることかもしれませんが(笑)
世間では「税理士は消える職業だ」や「AIに取って代わられる」などと言った記事が出回ったりしていますが、クライアントとの細やかな、また、時節に応じた適切な双方向コミュニケーションをとるといった部分については、まだまだ人間にしかできないと思いますし、逆にAIやテクンロジーに任せることができる部分については、積極的に任せて仕事の効率化を図っていけばよいと思います。業界内部では、世間で言われているように自分の職業が消えると心配している人は少ないのではないでしょうか。
さて、私が税理士業界で働き始めた頃は、今よりもまだまだもっと男社会で、女性であることがマイナスに働いた部分もありました。しかし、最近では女性の経営者も増え、また、経理を担当するのが女性である会社も増えてきました。そうなると、顧問税理士が女性であることが喜ばれるケースも増えてきます。
特に、突然旦那さんが脱サラして商売を始めるなんていうケースですと、普通の専業主婦だった女性がいきなり会社の経理をすべて任されることになるので、こんなとき、顧問税理士に何でも相談できるというのは心強いものです。
私のところに来てくださるお客様からは、「おじさんだと緊張するから女性でよかった」や「優しい人でよかった」など、若い女性であることが喜ばれていて、女性だから嫌だという声はありません。また、若い経営者の方からも相談しやすいと喜ばれています。
この部分は、「自分の顧問税理士は、むしろ緊張するほどの人物がいい」や「父親のように何でも相談できる年上がいい」と思う人もいれば、「対等に話せる同年代がいい」や「若い人からエネルギーをもらいたい」と考える人もいるでしょうから、お客様との相性によるでしょう。相性が合わないときは無理をする必要はないと思います。その方がお互いのためです。
指導する立場からすると、最初は何もできなかった経理担当者が色んなことを吸収してくれるのは指導し甲斐がありますし、最初は社長1人で始めたような小さな会社がどんどん成長する姿をすぐ傍で見ることができるのはとても嬉しいものです。
頼られたり、ありがとうと言われたりすることが、この仕事の大きなやりがいです。また、色々な業種の方々が相談においでになるので、普通では聞けない話が聞けたりするのも面白く、毎日が異業種交流会です。
次回(後編)は11月30日に掲載いたします。
税理士の現場から(K氏の投稿-喜び編)
前回は、現役の税理士としてどちらかというと悲観的な面でのお話をさせて頂きました。物事には表と裏、陰と陽がありますので、前回の「苦悩編」が陰とするならば今回は陽の面について記載させて頂きたいと思います。「喜び編」とでも題しましょうか?
皆さんは、「税理士」と聞くとどのような印象を思い浮かべますか?「社会的ステータスが高い」「収入が多い」「手堅い職業」などなど様々な印象があると思いますし、どれもその一面を捉えていると思います。
私が登録後税理士(所属税理士)となった時に感じたことは、「自分は今までと何も変わらないのに、世間が自分を見る目が変わった」でした。登録前後でやっている仕事は変わらないし、自分自身の人間性が特に向上したとは思いませんでしたが、税理士の肩書が入った名刺交換をすると相手の今までの態度が明らかに違うのです。
当時は、「世の中というのは、そういうものか」と不思議に思ったのと同時に、「日本はまだまだ肩書社会なのだなあ」と痛感しました。ただし、「税理士」と名刺に入っていれば、どのような仕事をしているかは相手に一目瞭然ですし、仕事内容をクドクド説明する必要はないので非常に楽な面はあります。(笑)
一概に税理士といっても、日本に77,171名(平成30年6月現在)もおり、性別、年齢、人間性、収入の多寡、実務能力、税理士となる資格(税理士試験合格者、試験免除者、弁護士、公認会計士)、社会貢献度等様々ですので、一括りに表現することは出来ません。
しかしながら、世間から一定の評価を受ける国家資格はそれ程多くはありません。ですので、職業会計人として自分自身にプライドを持つと同時に、常に自己肥大しないよう自分自身のバランスを取ることが重要だと思っています。
職業を問わず世間で良くあるように(残念ながら、税理士の中にもそのような方が少なからずいらっしゃいます)、社会で一定の成功を収めてしまうと、周囲の状況や自己を冷静に見えなくなってしまったり、人の話や注意を素直に聞けなくなってしまったりして、「自分は人とは違うのだ」「自分は偉いのだ」などと自己肥大してしまうようなことは、社会の一定の評価があるが故に絶対にあってはなりません。
閑話休題、以前から不思議に思っていたことがあります。教師が「先生」と呼ばれるのは理解できるのですが、代議士、医師、弁護士、税理士等の職業人が、何故世間で「先生」と呼ばれるのか? 現在でもその経緯や理由が私には分かりません。どなたか、ご存知の方がいらっしゃれば、是非お教え下さい。
次に、開業税理士と登録した時の率直な思いは、「これで自由になれる」の一言でした。 少し大げさかも知れませんが、勤務していた税理士事務所を退職した翌日の朝、自宅の近くを散歩している時に、空を見上げた時に、今まで見ていた色と異なる色に見えた記憶があります。やはりストレスを抱えていたのでしょうかね?(笑)
税理士といっても、所属税理士の場合は勤務先である税理士事務所より給与を頂いて勤務している訳ですから、完全なサラリーマンです。サラリーマンの最大の苦悩は、「内部(上司、同僚等)の対人関係」ではないでしょうか? 私も15年程度サラリーマンをやっていましたので、少なからず苦悩はしました。(笑)
小生はサラリーマン脱落組ですので、一つの会社に入社から退職まで勤務された方には一目置かざるを得ません。私はサラリーマンの退職金は長年の我慢料だと思っております。私のような自営業に我慢がないとは言いませんが、サラリーマンのような「内部の対人関係」に悩まされることは皆無です。だから、退職金がないと考えています。
職業会計人たる税理士は、自分自身の持っている技術を提供して対価を得るわけですから、どちらかというと職人的な面があるのですが、反面自営業という点から考えれば商売ですから、顧問先との人間関係の構築は必須です。お互いに人間ですから合う合わないがあります。これはどの世界に行っても同じです。
ただし、自営業たる税理士の場合は、収入の多寡を考えなければ自分で顧問先を選別することができます。また、顧問先も税理士を選別できる権利があります。そこには、技術を通じての対等の関係があります。したがって、常に技術(税法)を研鑽し、対等の関係が保てるように努力を怠らないようにすると同時に、自己の責任(申告書に署名押印すること)の重さを常に自覚することが必要です。
自身の技術と人間性を評価して頂いて、技術を提供して対価を頂く。この喜びは、経験してみないと理解して頂けないかもしれませんが、私はこの「喜びと自由」を手放したくはありませんし、そのためにも今後もより一層技術の研鑽と人間性の向上に取り組み続けていきたいと思っております。
そして、一人でも多くのお若い受験生の方が、一日でも早く合格され、将来「開業税理士」となられた時に、この「喜びと自由」を感じて頂けることを切に願います。
(本年)8月7日~9日までの3日間は、一年に一回しかない税理士試験です。現在持てる力を2時間の試験で出せるように、受験生の方のご健闘を心よりお祈り申し上げます。
「心は熱く、頭はクールに!!」いつか、何処かで皆様とお会い出来ますことを念じつつ。
拙い文章をお読み頂き、誠にありがとうございました.
税理士の現場から(K氏の投稿-苦悩編)
前回で投稿が終了の予定でしたが、少し現場のことを追記致したく、あと2回投稿させていただきます。最後まで、どうかお付き合い下さい。今回は「苦悩編」とでも題しましょうか? 開業税理士としてここ何年か悩み続けていることを徒然に記載したいと思います。
ご存知のように、所属税理士と異なり開業税理士は給与がありません。したがって、月次顧問報酬を頂ける顧問先がないと事務所経営及び生活が成り立ちません。
開業するとなると、やはり10件程度は顧問先(顧問料の単価にもよりますが)がないとやっていくのは難しいのではないでしょうか? 単純に10件と書きましたが、この獲得が大変です。
2代目、3代目は別ですが、新規開業するなると新規に顧客を開拓せざるを得ません。開業前に勤務していた顧問先を引き抜くのは至難の業ですし、雇う側もそれを警戒して持ち出されぬように予防線を張ります。中には入所時に念書を記載させる事務所もあるようです。
また、無事持ち出せても、勤務していた事務所に手数料を支払わなければならないというようなケースもあるようです。顧問先にとっては、寝耳に水で迷惑な話ですね。
たまに、担当していた顧問先が、「貴方が開業したら、我が社も移ります」などと言ってくれる場合や、知人・友人が「開業したら、頼むね」などと言ってくれる場合がありますが、実際に開業してみると大抵は顧問先になってはくれません。やはり、事務所からの締めつけがあったり、友人・知人に至っては、全てを知り合いに知られてしまうというのが、嫌なのでしょう。(税理士には守秘義務があるのですが・・・・)
となると、異常に高い手数料を要求する紹介会社を使ったり、ペイできない安い顧問料で獲得するしか道がなくなります。しかし、これらも税理士法の改正により報酬規定が廃止(平成14年3月)され、自由競争となり、顧問料が極端に下がってしまった現在では、逆に将来自分の首を絞める結果となってしまうのが自明の理です。
「ならば、税理士資格をとっても開業できないではないか?」という読者の方の批判を浴びそうですが、現実には「日本税理士会連合会」の「税理士実態調査報告書」によると下記のような結果となっています。
税理士登録者数と開業税理士
平成16年 平成26年 増減
登録者数① 67,368名 77,007名 9,639名
内、開業税理士② 63,516名 59,250名 ▲4,266名
②÷① 94.2% 76.9% ▲17.3%
登録者数は増加しているものの明らかに開業税理士の数も、登録者数に占める開業税理士の割合も減少しています。
開業税理士年齢構成概要 ※平成年のみ税理士登録者数の集計
平成6年 平成16年 平成26年
20歳代 1.1%(292) 0.3%(69) 0.1%(29)
30歳代 11.1%(3,050) 5.5%(1,340) 5.0%(1,238)
40歳代 16.4%(4,517) 12.8%(3,103) 13.5%(3,373)
50歳代 13.3%(3,668) 20.5%(4,974) 18.1%(4,516)
60歳代 43.1%(11,851) 21.1%(5,113) 35.4%(8,840)
70歳代 13.0%(3,580) 33.0%(7,990) 15.4%(3,849)
80歳代 1.8%(483) 6.0%(1,462) 12.0%(2.991)
無記入 0.2%(50) 0.8%(178) 0.5%(114)
合計 100.0%(27,491) 100.0%(24,229) 100.0%(24,950)
回答者数という限定条件があるものの、平成6年から平成16年までの10年間は世代構成がほぼそのまま押し上げられており、平成16年から平成26年までの10年間で年齢層が1段階低くなったような形となっています。
ということは、高齢者である階層が廃業し、40・50歳代辺りの新規開業者が増加しているのではないでしょうか? 試験合格者の高齢化(かつて記事にさせていただいた「税理士試験」編参照)とほぼ同じ動き方をしているように思われます。
開業税理士業務従事年数
平成16年 平成26年 増減
1年以下 3.0%(737) 3.4%(836) 0.4%(99)
3年以下 5.2%(1,256) 6.7%(1,662) 1.5%(406)
5年以下 5.3%(1,268) 6.3%(1,575) 1.0%(307)
10年以下 12.0%(2,908) 16.2%(4,054) 4.2%(307)
20年以下 32.0%(7,760) 25.2%(6,292) ▲6.8%(▲1,468)
30年以下 21.4%(5,187) 21.4%(5,336) 0.0%(149)
40年以下 15.3%(3,700) 12.0%(3,004) ▲3.3%(▲696)
40年超 4.9%(1,191) 8.2%(2,042) 3.3%(851)
無記入 0.9%(222) 0.6%(149) ▲0.3%(▲73)
合計 100.0%(24,229) 100.0%(24,950) (721)
5年以下の開業間もない税理士が全体で2.9%増加していることが分かります。つまり、年齢にかかわらず開業税理士が増えているということではないでしょうか?
企業者数が2004年:433万社から2014年:382万社へと51万社減少している(2017年中小企業白書より)にもかかわらず開業税理士が増加しているということは何を意味するのでしょうか?
やはり高年齢層の税理士が抱えていた顧客が新規開業の税理士へと流れているということではないでしょうか?であるならば、後は顧問先一人当たりの単価を上げていけば、新規開業の税理士が参入できる土壌があると考えるのは、飛躍した発想でしょうか?
個人報酬単価:3万円以下が50.9%、法人報酬単価:3万円以下が53.5%、5万円以下が27.3%(日本税理士連合会 第6回税理士実態調査報告書より)特に法人は、それなりの労力を要する案件であるにもかかわらず、月額5万円を超える報酬を得ているのが2割にも満たないのは頭の痛いところです。
私個人は、個人:2万円、法人:3万円(記帳代行手数料を含まず)を最低基準に考えています。この基準を確保できなければ自分の首を締め付ける行為だと思っています。
また、業界では自計化をしきりに勧める方向にありますが、個人的にはそれが税理士自身の首を絞めているように思います。記帳代行は手間のかかる仕事ですが、請け負えば確実に入ってくる報酬ですし、会社の全体像もくっきり見えてくる作業なので個人的には引き受けるべきだと考えています。
さらに、顧問報酬が満足いく金額で獲得できない現状で、経営コンサルタントとしての報酬を獲得する動きがありますが、公認会計士ならばいざ知らず、税理士にはそのような能力はないと思っています。事実そのような勉強はしていません。
したがって、今後は顧問先からの報酬単価を上げていかなければ牛丼戦争のようになり、税理士同士でお互いの首を絞め合うような形になると危惧しています。
また、AI等の進化により今後は税理士の手を煩わすことなく顧問先が簡単に記帳できるようなっていく社会情勢等を考えると、税理士一人一人及び業界全体が、独占業務である税務申告が非常に高度な知識が必要であること、手間がかかる業務であること等を納税者に理解してもらい、高品質なサービスを提供するよう努力をしていかない限り、税理士業界に未来はないと考えています。
税理士K氏の投稿、「自己紹介」編
今回より、3回に分けて投稿させて頂きます。拙(つたな)い文章でご迷惑をお掛けすることになるかもしれませんが、少しでも税理士試験受験生の方々や今後開業を目指す税理士の方々の参考の一助となるような内容にしていきたいと思いますので、最後までお付き合いの程、何卒宜しくお願い申し上げます。
第1回目の今回は、少々小生の自己紹介をさせて頂きます。小生は現在55歳ですが、元々は大学を卒業してから東京のリース会社で営業マンとして15年程勤務しておりました。入社当時はこれから日本経済がバブル期へと向かう絶頂期の時代でした。
今の皆様からは考えられないでしょうが、個人の資質はさておき、それ程努力をしなくとも契約の引き合いは引く手数多(あまた)、当然ながら会社から与えられたノルマもそれ程苦労もなく達成できた時代でした。当時の逸話として、小生が記憶しているのは・・・・・・・、
「花金(今では死語? 花の金曜日の略)の時代が過ぎ、花木(当時の金曜日は店がどこも満杯で入ることができず、タクシーさえも拾えない状態でしたので、サラリーマンが週末を控えて仕事帰りに飲みに行くのは木曜日とせざるを得ませんでした)という言葉が世間では通用していた」
「短大卒の一流証券会社のOL1年目の夏のボーナスが、100万円を超えていた」「大卒の2人に一人程度が、上場企業に就職できた」などなど、現在では考えられない逸話は枚挙にいとまがありませんでした。
とにかく、日本という国が「バブル景気」に酔いしれていた時代でした。しかしながら、そんな夢のような時代は、過去の歴史の繰り返しを見れば明らかですが、長い間続く訳もなく、その後の日本経済の停滞は皆様もご存じのように惨憺(さんたん)たる結果となり、今現在に至っております。
また、高度経済成長期からバブル期までは、日本経済の成長と共に経済隆盛時には上手く作動していたシステム(日本型の経営システムや年金制度等)が、その後の経済停滞期に作動しなくなり崩壊していったのも顕著な事実です。
上記のように、小生が大学を卒業してから会社を退職するまでの15年間は、まるでジェットコースターに乗っているような状態でした。幸いなことに小生が勤務していた会社は、バブルの余波をそれなりに影響を受けたとはいえ、リストラもなくボーナスも世間並には出ており、サラリーマン特有の人間関係に苦慮することは多少あっても退職するまでの理由はありませんでした。
ところが、そのような頃に妹が交通事故で突如として亡くなってしまい、両親は憔悴しきっており、藁(わら)をも縋(すが)るように小生に「大阪に戻ってこれないか?」と懇願してきました。会社に相談したところ「一時的に大阪勤務にすることはできるが、本社が東京なので、一生という訳にはいかない」との回答、会社としては当然の判断です。
随分悩みましたが、やはりここまで何不自由なく育ててもらった両親の憔悴した姿を見過ごす訳にもいかず、結果として大阪に帰ることを決意致しました。
ところが、何の転職活動もしないままに戻ってきたものですから、「さてこれから一体どうやって生計を立てていく?」という単純な問題に直面しました。当時既に年齢も40歳に手が届くようになっていましたし、今更転職といっても、余程の技術と能力がなければ、中々難しい状況です。今更ながらに、サラリーマンとして会社の名前と信用を借りて、自分が仕事をしていたことを痛感しました。
そこからが、税理士試験挑戦の始まりとなりました。世の中での専門的知識や技術を身に付ければ、何とか飯が食っていけるのではないかと・・・・・・(単純ですが)当時は色々な資格を模索しました。しかしながら、弁護士は余りにもハードルが高く、会計士も短距離勝負の試験ですので、年齢を考えると難しい。また資格の難易度を落とすと、当然ですが、合格しても飯が食えない。
ただし、税理士試験は通算5科目で合格、加えて一度に合格する必要はなし、一度合格した科目は永久に保持できる。これならば働きながらでも試験に挑戦できると判断し、挑戦することを決意しました。
しかし、いざ挑戦するといっても専門学校等の学費等も稼がなければならなかったので、先ずは自分自身の勉強時間が確保しやすい進学塾の講師をしながら勉強を始めた次第です。
挑戦したのは良いのですが、大学の学部は商学部でも何でもなく、簿記のボの字も知りませんでした(今から考えると、ゾッとする程無謀な計画ですね)。また、会社で経理をやっていた訳でもありませんでした(むしろ、数字ばかり見て、暗いセクションだと思っていました)。
先ずは簿記3級を学習し、無謀にもその段階で並行して消費税を学習し受験しました。たまたま合格したものの余りにも無謀で無知な受験計画でした。当初は3年間で5科目合格を目論んでいました(これ自体が実情を知らない無理な計画でした)。
その後、簿記2級を学習し、簿記論(恥ずかしながら4回受験しました。今でも簿記アレルギーです)・財務諸表論と学習し、税法残り2科目(法人税法・相続税法)と積み重ねることができました。結果として、当初の予定の倍以上の7年を要しました。
5科目合格した時の率直な感想は、「やっとこれで試験勉強から逃れられる」でした。マラソン選手が、クタクタに疲れて、ゴールした時のような感じを想像してもらえれば分かりやすいでしょうか?
ただし、実はここからが本当の試練となります.。
☆次回は「税理士試験」編です。よろしくお願いします。
税理士N氏の『合格まで合格から』(上)
今回は税理士N氏の投稿です。N氏は強く印象に残る税理士でした。5年前に求職相談でお会いしN氏自身が希望する会計事務所を紹介させていただきました。N氏は期待以上の仕事をされ本年円満退職し独立開業をしました。N氏の今日までの軌跡をN氏の投稿からお読みください。
私が税理士試験の受験勉強を始めたのは、22歳の時でした。22歳といえば、大学を卒業する頃ですが、私は、まだ大学三回生になったばかりの時でした。高校時代はクラブ活動に没頭し、大学浪人の初期にはアルバイトに熱中し、結局、普通より2年も遅く大学に進学していたからです。
今思えば、大変理解のある両親と、裕福とは言わないまでも、それなりに恵まれた経済環境にあったのだと思います。関西のいわゆる有名私大に進学しましたが、自分にはもったいない程の学歴を得たものだと、当時はそれなりに嬉しかったことを覚えています。
その一方で、大学へ進学できたのは、自分の能力や努力というよりも、2年間も浪人することが出来た恵まれた家庭環境のお陰だという気持ちがありました。苦労して学業を積み重ねた友人たちに対し、とても後ろめたい気持ちが少なからずありました。
私が税理士受験にチャレンジしてみようと思ったきっかけは、この後ろめたい気持ちと無縁ではありません。大学三回生にもなると、周りが就職活動で動き始めます。私も、その波に乗っていれば、おそらく、普通のサラリーマンにはなれていたでしょう。
2年浪人したのにも関わらず、大学では体育会に入部し、全国レベルの有名選手たちとそれなりに真面目に活動をしていました。当時は、暗黙の『体育会系枠』というのがあったようで、まわりを見渡してみても、決して不利な就職戦線を戦うとは思えませんでした。
しかし、大学生の就職活動というのは、やはり学歴(大学名)がものを言う世界です。両親の金銭的余裕で得た学歴に後ろめたさを感じていた私は、それならば、いっそ学歴の関係のない世界で勝負してみようという無謀な志をもったのです。
資格商売を営んでいる人が、なぜその資格を取ったのかと問われた時、「その職業に魅力を感じたから」と答えるべきだということは、よく知っているつもりです。ただこれは、その後の後日談や美談であって、実際にはそういう人ばかりではありません。
少なくとも私は、学歴以外のところで勝負してやろうという妙な野心と、自分の実力なら税理士くらいが限界だろうという冷静な打算、これが税理士試験受験の動機でした。国家試験というものに挑戦してみようというチャレンジ精神が、税理士試験の受験勉強を始めたきっかけでした。
学習は簿記3級の独学(通信)からはじめ、3級・2級を受験せず、約半年で一気に1級まで進みました。学歴を捨てると決めましたから、受験資格に1級が必要だと考えたからです。結果は、わずかに届かず。合否という面からは失敗からのスタートでした。
しかし、ここで大きな収穫がありました。合否云々を超えて、純粋に勉強自体が面白いなと感じ始めたのです。それなりに、のめり込みました。すぐに、簿記・財表の学習をはじめます。1級取得にこだわりたい気持ちもありましたが、これは素直に諦めました。諦めたことは残念でもありましたが、今振り返ってみると、受験勉強での妥協は、これが最初で最後です
半年間の学習を踏まえ大学四回生の8月に、はじめての税理士試験に挑みました。合格発表の前に、私立の大学院に3校合格します。第一志望だった神戸大学の大学院は不合格でした。入試の結果から、一番学費が安く済む大学院に進みました。結果的に、学部から院への内部進学でした。簿財の勉強から会計学の面白さを知り、もっと勉強をしたいという学問に対する純粋な気持ちが出始めていた頃です。
さて、ここで、大学院による試験免除と税理士受験との関係に言及しておかなければなりません。結論から申し上げると、私は、簿・財・所・法・消の5科目に合格しています。
修士号を持っていますので、申請をすれば簿・財の2科目が免除だったようです(当時は2科目免除)。大学院への進学について試験免除狙いの動機が皆無だったかと問われれば、皆無とまでは言い切れないでしょう。
しかし、学歴で勝負しないと誓った以上、免除申請は私にとってはタブーです。簿財の一度目の受験は失敗していましたので、大学院入学後の最初の4ヶ月は、必死に簿財の受験勉強をしました。大学院での課題もありましたので、大変でしたが、相乗効果もありました。
幸運にも、大学院に入った年に簿財に合格することができました。ここまでは、比較的順調な受験勉強でした。
*次回(中)に続く。