会計事務所(税理士事務所・公認会計士事務所・税理士法人)、企業経理財務職の求人・就職・転職なら人材紹介アイ 大阪|京都|神戸|滋賀|奈良|和歌山

お役立ち情報

‘アイ・縁・喜・縁(ご縁のあった方々の話ー男性編)’

不惑の歳も粘ってなんぼ!

 2月も中旬を過ぎ確定申告も始まった頃に書類棚に置きっぱなしにしていた年賀状の整理(ファイリング)をしました。毎年仕事始めに目を通し住所変更等の変更事項をPCの名簿データに修正をしてそのまま書類棚に置いておき、遅いときには春先までそのままにしてしまいます。
 
 今年は早い方でした。いつもファイリングをする時に文面を改めて見て送っていただいた方に想いを馳せます。この数年文面の添え書きが気になり連絡を取りたいと思っていた人がいました
 
 今回はその“気になっていた人、N氏”をご紹介します。N氏は今年不惑の年を迎える39歳の勤務税理士です。N氏と初めて出会ったのは7年半前の9月中旬の求職相談でした。背の高い純朴な青年のイメージが残っています。
 
 東京の大学を卒業し就職はせずに税理士を目指し受験浪人をしていました。簿記論と財務諸表論までは順調に合格を手にしましたが必須税法の法人税法には合格するのに5年を費やしていました
 
 さらに所得税法と消費税法を受験しますが結果が出ず3回目の受験を終えた32歳の時に求職相談に来たのです。大学を卒業して10年近い歳月が流れていました。
 
 履歴書を見て驚いたのは職歴が空白になっていたことでした。アルバイトはしてきたが正社員としての職歴はありませんでした。「さて、どこに紹介できるのか・・・」困ってしまいました。
 
 25歳位迄であれば会計事務所未経験者でも3科目以上合格していれば税理士になる可能性を期待され人材紹介会社を通じても採用してくれる会計事務所はありましたが、30歳を超えての未経験者の紹介はかなり厳しいものがありました
 
 ただ、当時N君と話をしていると性格の素直さと税理士を目指す不退転の意志の強さは伝わってきました。N君に尋ねました。「大学卒の同期と比べ社会人となるのが10年遅れたのだから、会計事務所へ就職が決まったら人の倍は働く覚悟はできていますか」と、N君は素直にうなずきました。
 
 私からは長いお付き合いのある若手ですが仕事には厳しい税理士の先生を紹介しました。先生には「彼は必ず税理士になりますそして今までの無職の期間を取り戻すために人の倍は働く覚悟です」と強くお願いしました。
 
 功を奏したのか取りあえず面接をしてくれることになりました。面接をしてくれたらN君の人なりを見てもらい採用していただけるのではとのわずかな望みはありました。その願いは見事に当たりました。先生も私と同じようにN君の人なりには期待したいとのことでした
 
 N君の10年遅れの社会人としてのスタートが始まりましたN君は期待に応えてくれました。毎年の年賀状に添え書きで「今年で〇年になります頑張ります・・」の文面がそのことを表していました。
 
 そして5年後の年賀状の「昨年税理士登録をしました・・・」の添え書きを見たときは「N君は絶対に税理士になりますと啖呵を切ったことが本当に成ったことに私自身が己惚れた記憶がよみがえります
 
 6年後の年賀状は結婚をしたのでしょう、奥さんとの連名が微笑ましく印象に残っています。昨年の年賀状には「事務所が税理士法人となり社員税理士として頑張ることになりました」の添え書きがありました。そして今年の年賀状には「勤めて丸7年が経ちましたもっと力をつけて頑張ります」の添え書きがありました。
 
 N氏の7年半前の履歴書を改めて拝見すると本年不惑の歳(40歳)を迎えることが分かりました。この2月忙しいのは承知の上で電話をかけました。7年半ぶりでN氏の声を聴き充実した毎日を送っていることが伝わってきました
 
 この7年半はN氏の年賀状の添え書きだけで彼の成長を想像してきましたが、実際はN氏の不屈の決意諦めない精神が支えてきたことを知りました。N氏は云います。関西弁の粘ってなんぼ!」の気持ちでやってきましたと。
 
 これからも人間としても税理士としても「昨日より今日今日より明日へ」自身のレベルを上げていきたいと実直なN氏らしい云い方をします。N氏曰く「四十にしてもNever give up粘ってなんぼ!」と、次は一杯飲むことを約束して受話器を置きました。
 
 来年の年賀状にはどのような添え書きが記されるのかが楽しみです。

 

適職から天職へ、O氏の選択

 先月1通の挨拶状が届きました。封書をあけると税理士法人設立の挨拶状でした。パートナー税理士3名の中に代表パートナー税理士としてO氏(43歳)とパートナー税理士としてO氏の奥さんの氏名が記されていました
 
 O氏と出会ったのは14年前の2月の求職相談でした。温厚で優しさが表情に滲み出ていたO氏のことは記憶の中にしっかりと留まっていました。
 
 O氏は東京の大学を卒業後企業の総務職に就きますが、企業の金の流れに興味を持ったことから公認会計士を目指そうと働きながら公認会計士試験の勉強を始めます。
 
 ただ受験勉強に入ると1戦必勝の公認会計士試験に限界を感じ1回も受験せず断念、科目合格制の税理士試験へ目標変更をします。30歳までに絶対合格しようと決めたO氏は2年勤めた会社を退職し受験浪人に入ります
 
 心機一転、受験勉強も相性が合い1年目に財務諸表論に合格し2年目には法人税法と消費税法の2科目に合格します。そして翌年の平成12年2月に会計事務所への就職のために人材紹介アイの求職相談に足を運んだのです。
 
 O氏へは公認会計士の先生の事務所を紹介しました。会計事務所の経験はなかったのですがO氏の人柄と税理士試験の必須税法である法人税法に合格していたことが評価され採用が決まりました
 
 そして入社したその年に残りの2科目(簿記論と相続税法)にも同時合格し念願の30歳までに1年を残し29歳で税理士試験の合格を勝ち取ったのです
 
 入社2年後には税理士登録も終え、さらに2年後には同じ事務所の勤務税理士の女性と結婚、1年後にはお子さんにも恵まれますが育児のために奥さんは事務所を退職します。奥さん自身には数件の顧問先があり育児をしながら税理士業務を自宅でおこなうことにしたのです。
 
 平成19年の春にO氏も家庭と仕事を両立させるために事務所を退職し奥さんとの共同事務所を自宅で設立し業務を始め翌年には自宅近くに事務所を移転開設しました。普通の会計事務所と違うところは開設した事務所には育児のためのベビーベットが常設されたことでした。
 
 「夫唱婦随」と云ってもよいのでしょうか、四字熟語の順番では夫が唱えて妻が従うとなっていますが、O氏の場合は奥さんが育児の為に税理士として独立し1年後にO氏が独立したので税理士としての独立開業については妻が唱え次に夫が従ったということで「婦唱夫随」と書いた方が正解かもしれません。
 
 独立した時の感想を聞くと「勤務していた時より仕事をするうえで自由な裁量があるので自分には向いていると思った。不安はありませんでした」と云います。
 
 もちろん自由と責任は比例してついてくるのは当たり前ですがO氏は税理士の仕事にストレスを感じたことはないと云います。天職とまでは言えないが自分には税理士業は適職だと謙遜します
 
 独立開業した年の暮に知り合いの弁護士の先生から大きな案件の依頼を受けました。案件の内容について詳細は話されませんでしたが上場会社関連の案件で最近までその仕事は続いたそうです。
 
 そして、その仕事に一緒に関わった公認会計士の先生と今回の挨拶状での税理士法人の設立をしたのです。事務所も新たなビルに移転しホームページも立ち上げました。
 
 ホームページを見ると「相続税専門の税理士法人を全面に打ち出しています。来年から相続税法が大きく改正され対象者が1.5倍に急拡大するとの予測から相続重税なる言葉も飛び交っています。まさに時宜にかなった税理士法人の設立です
 
 O氏に相続税に特化した税理士法人設立の意図を尋ねました。「戦略としては来年からの税制改正に合わせて相続税専門の税理士法人を打ち出しましたが通常の税理士業務への対応もしていきます。今は設立したばかりで足元を固める時期ですので戦術についてはこれから検討していきます」と多くを語りませんでしたが税理士法人の経営者としての大志は言葉の端々に感じました
 
 ホームページのスタッフ紹介のページにO氏の紹介がありました。心がけの項目には「真面目に素直に謙虚に生きる」とありました。そして、好きな言葉の項目には「一生勉強 一生青春(相田みつを)」と記されていました。
 
先にも記したようにO氏は税理士の仕事は自身には適職だと謙遜していましたが、今回の税理士法人設立へのステップは明らかにO氏にとって税理士業は天職になったのだと理解しました

 

税理士は神様のプレゼント

 偶然は神様のプレゼントと云われます。税理士になりたくて税理士試験を目指したのではなく、仕事上での必要からたまたま勉強した消費税が税理士につながったF氏を紹介します。
 
 F氏(現在43歳)は神戸市の県立高校を卒業し地元の国立K大学経営学部へ進学します。そして卒業後は一部上場の大手食品会社へ就職、配属先は工場の経理課主計係となりました。  
 
 7年間勤務したころ上司が新設された子会社へ転籍しその上司に誘われてF氏も出向し経理担当として赴任することになります。7年間の工場経理業務では大企業の工場部門での経理財務には詳しくはなりましたが、全社のBS(貸借対照表)、PL(損益計算書)の作成業務は経験できませんでした。
 
 子会社へ移って1年目は全経理業務を任されBS、PLの作成から税務申告業務まですべてを担当し苦労はしましたがやりがいはありました。
 
 2年目に入り部下も何名か付くようになりF氏の仕事に余裕ができ知りたかった消費税の勉強を始めます半年の勉強でしたが成果を確認しようと税理士試験の消費税を受験しました。結果は不合格でしたがもっと真剣に取り組めば合格出来るのではとの手応えも感じました。
 
 翌年は真剣に勉強しようと消費税だけではなく簿記論、財務諸表論も勉強します。その時もまだ税理士になりたいとは思っていなかったとのこと働きながらの3科目受験は無謀な挑戦と云っても過言ではありませんがF氏にとっては怖いもの知らず勉強そのものがおもしろかったのです
 
 その年になんと消費税と財務諸表論の2科目合格を果たしますその自信がF氏の進路を変えるのです税理士を目指す決意を固めました
 
 翌年は会社を退職し受験浪人に入ります。生活は預金を取り崩しての背水の陣です。簿記論、法人税、固定資産税の3科目に挑戦しました。結果は法人税と固定資産税の2科目に合格そして受験3年目に残した簿記論に合格し税理士試験合格を果たしたのです
 
 経理経験もあり税理士登録はできましたが税理士の仕事については全くの未経験者です。専門学校の就職面談会に参加し紹介された個人事務所へ就職することにしたのです。
 
 税理士業務については経験が出来たのですが所長先生家族で運営していた個人事務所での限界を感じ半年余りで退職をします。個人の会計事務所での壁を感じたF氏は経験のある企業への転職を模索し大手製鉄会社グループの総合病院の経理職に就きました。
 
 医療業界の経理業務は良い経験にはなりましたが病院特有の資格者の集まりである人間関係に苦労し再度会計事務所への転職を考え人材紹介アイの求職相談に足を運んだのです。5年前の梅雨時でした。
 
 税理士を必要としている事務所への転職を勧め大阪のK先生の事務所を紹介しました。K先生とは30年来のお付き合いで業務内容も理解していたこともあり自信をもってF氏を紹介し採用となりました。
 
 そして2年半後に40歳になったF氏は生まれ育った神戸に戻り独立開業をしたのです事務所名に神戸市の市花の名を付けました
 
 今月、開業3年目のF氏の事務所を訪ねました。地元では有名で活気ある商店街の店舗の2階がF氏の事務所でした。
 
 開業して1年目は1件の顧問先からのスタートで生活の為に公庫から借金をしたとのこと2年目に何とか会社員時代の収入は確保ができ3年目の今年は4桁代の収入になり将来の展望が開けてきたとのことでした
 
 11月22日(いい夫婦の日)に付き合ってきた彼女を入籍しましたそして来年は店舗型の事務所を商店街の1階に開設したいと顔をほころばせます
 
 どうやらF氏にとって税理士は神様の良いプレゼントになったようです。12月は税理士試験の合格発表があります。また誰かが神様からのプレゼントを受け取るのでしょうか・・・。

 

たかが1科目、されど1科目

 「武士(もののふ)の矢橋の船は速ければ急がば回れ瀬田の長橋」は『急がば回れ』の語源となった歌と云われています。税理士になるには税理士試験に合格しただけではなれません2年間の経理実務の経験が必要となります。受験と実務のバランスをどう取るかは人により様々です。
 
 T君(当時23歳)が求職相談に来たのは5年前の1月でした。前年の税理士試験で法人税に合格し4科目を取得していました。T君は進学校でもある県立高校を卒業後大学へは進学せず税理士受験で有名な簿記専門学校へ進学します。
 
 理由ははっきりしていました。税理士になるためです。家庭の事情もあり祖父母に育てられたT君は祖父が経営する中小企業の役に立つ仕事として税理士を目指したのです。
 
 専門学校ではよいライバルにも出会い競い合いました。入学した年に税理士試験の受験資格となる全経上級試験に合格し2年目の税理士試験初回で簿記論と財務諸表論の2科目同時合格を果たします翌年の税法は結果が出ませんでしたが3回目に消費税法にそして専門学校を卒業した4回目に法人税法に合格しました
 
 あと1年受験浪人をすればおそらく最後の1科目には合格していたと思われますが、T君は祖父母にはそれ以上は甘えられないと会計事務所への就職を決めました。人材紹介アイからはS会計事務所を紹介しました。
 
 T君を紹介する半年前に所長のS先生とは人材採用の件でお会いしていました。日本の中小企業の為の日本一の会計事務所を創りたいそのためには同じ志をもった税理士が何人も必要ですぜひ税理士を目指す有為な人材を紹介してほしいとのことでした
 
 S所長であれば社会人経験のないT君を一人前の税理士へ育ててくれるに違いないと思いました。T君は数事務所の面接を受験し自身の判断でS事務所に決めました。理由を聞くと面接の終了時に「今日は面接に来てくれてありがとう・・・」と他の事務所の先生とは違う目線を感じこの先生のもとで働きたいと思ったそうです
 
 T君が入社した年にリーマンショックが襲いました。不景気の嵐は日本を直撃しましたがS事務所は急成長を続けます。新入社員で入った年は経営方針発表会でS所長の云う次年度の事務所像が実現するのかと他人事のように思っていたT君は、自身も当事者として実践する中で翌年度には夢が実現されることに驚きました。
 
 入社して5年半になるこの間に社員は倍増し税理士法人となり支店も海外を含め5拠点へと急展開しましたT君はその1拠点である支店の幹部として地方に赴任しています。入社3年目までは最後の1科目を受験していたそうです。
 
 ただ事務所の急成長に伴い求められる仕事のレベルも上がりやりがいにも繋がりました。支店に赴任してからの2年間は受験からも遠のいてしまったとのこと。
 
 来年T君は30歳になります。久しぶりに赴任先のT君へ電話をしました。「この5年間は仕事にどっぷりとつかりましたが事務所と共に成長できたと実感しています後悔はしていませんが税理士になる夢は諦めてはいません自分が税理士になることは事務所にとっても役に立ちます来年からは再度税理士になることを考えて仕事にも励んでいきたいと思います」T君の元気な声が受話器から聞こえてきました。
 
 S税理士法人のホームページにスタッフ紹介のページがあります。Tくんの優しさ溢れる笑顔の写真とプロフィールが書かれています。好きな言葉の欄にはフランシス・ベーコン(哲学者)の次の言葉が記されていました。『人生は道路のようなものだ一番の近道はたいてい一番悪い道だ
 
 税理士になったTくんに会ってみたくなりました。

 

志は高く、腰は低く

 今月(7月)24日の夜に天満橋の会計事務所へ所長のS氏を訪ねました。大川に面した事務所の面談室から向こう岸に続く”かがり火„が川面に揺れていました。聞くと天神祭の宵宮とのこと。 4年前に自宅で独立開業をされ、その1年後に上記の天満橋に事務所を開設されたのは挨拶状で知ってはいましたが初めての訪問でした。
 
 S氏と出会ったのは14年前の春でした。その頃から税理士試験にも会計士試験、司法試験のように大学を卒業しても就職をしないで受験浪人をする方が増えていました。S氏もその一人でした。
 
 求職相談に来られた時は、前年の税理士試験で最後の1科目となった税法科目に合格していました。また、前年の税理士試験後に会計事務所に勤め、税理士試験発表の12月末でその事務所を退職していたのです。退職した理由については失念していたので、今回あらためて聞いてみました。「あの退職は解雇でした」とのこと。
 
 聞いてみると、最後の税法科目を受験した後に会計事務所へ入ったのですが、本人は心身ともに燃え尽き症候群に陥ってしまい、仕事をする気力が湧かず、最終的に所長先生より引導を渡された、のが理由でした。
 
  S氏は関西の有名私大を卒業しているのですが、大学進学も税理士試験の受験も、とにもかくにも働く気力が出なかったのが選択の理由だったと云います。ただ、S氏は税理士試験に挑戦(大学3回生で簿・財に合格、卒業年に所得税・相続税に合格、卒業2年目に住民税に合格と4回の受験で税理士試験に合格)したことで、志を立てれば行動に迷いがなくなり結果を出せる自身に気付いたと云います
 
 税理士試験後の会計事務所への就職は、不合格になったらとの心の揺らぎもあり、仕事に集中できなかったことが解雇させられた理由だったと懐かしさを込めて照れ笑いをします。
 
 税理士試験で合格を勝ち得たS氏は再度心の立て直しを図ります。 「一人前の税理士になる」と志を立てるのです。そして確定申告明けに人材紹介アイの求職相談へ足を運びました。今でもその時の印象が残像として瞼に映ります。何を言っても「はいっ!はいっ!」の返事が返ってきます。背筋を伸ばし真直ぐに相手の目を見て話す姿勢に好感が持てました。
 
 社会人としての経験がほとんどないS氏を紹介することは、受け入れてくれる会計事務所を選ぶことから始まりました。ほとんどの会計事務所は人材紹介会社へは即戦力を求めて実務経験者の紹介を依頼されます
 
 人材紹介アイからはある若手で堅実なK先生を紹介しました。開業8年目で堅実な成長をされていた事務所で勤務税理士の採用も考えられていました。結果はすぐに出ました。採用となりS氏も素直に受け入れました。
 
 それから10年は、一人前の税理士を志しひたすら仕事に励み、事務所の幹部にもなり結果を出したのです。そしてさらに、自立する税理士を志し独立開業を決めたのです
 
 なぜ独立を決意したのかを聞きました。『子供が病気になり入院した時、お見舞いに行くと不治の病にかかった子供病棟を通り抜けます。その度に人生に挑戦できる機会を与えられない子供もいる、機会を与えられている自分は決してその機会を放棄してはならない』と強く心に刻んだと云います。
 
 S氏は「自立する税理士」を志して自宅で開業し、1年後に事務所を開設したのです。ホームページには≪日本一腰の低い税理士≫と決意を示しました
 
 今回の訪問は上記の通り事務所開設3年目のことでした。天神祭りの宵宮が更けるまで話をしました。最後にS氏が云いました。『 開業して朝の出勤から夜は終電まで仕事をしています。今、何のために・・・と、自身に問う自分がいます』と。そして『答えは自分で必ず出します。新たな志を必ず立てます』と。
 
 明日の本宮が楽しみになりました。

W氏が二度開業した理由

 業界の資料によると税理士登録をされている9割以上の方が独立開業をされています。税理士業務そのものが一人で自己完結できる業務であること、背景には国の基幹制度としての税制が完成されたシステムとして機能していることがあると思われます。
 
 税理士の仕事は一人で独立開業できる魅力があるのです
 
 今回は勤務→独立→勤務→独立と二度の開業をされたW氏をご紹介します。W氏が求職相談にこられたのは9年前の正月松の内も過ぎたころでした。
 
 前年の税理士試験で4科目目の消費税に合格していましたが、科目合格の履歴を見ると大学を卒業した年に簿記論と財務諸表論に2科目合格し翌年には会計事務所に勤務しながら最難関の必須税法の一つである法人税法に合格していました。
 
 ところが4科目目の消費税法の合格までに何と8年を要していたのです。その間に個人事務所へ一度転職し税理士試験の専門学校での講師もアルバイトで数年されていました。
 
 なぜ法人税法に合格してから4科目目の消費税法に合格するまで8年もかかったのかW氏自身も結果としてそうなったとしか言いようがないと云います。毎年模擬試験ではトップレベルであり自信をもって試験にのぞんだ結果とのことでした
 
 税理士試験には魔物が潜むと云われます。その魔物とはまさしく税法の試験であるようです。いままで求職相談でお会いした方で4科目合格した後残りの必須税法に合格できず10数年挑戦している方を何人も見てきました。
 
 税法を制する者は税理士試験を制するといっても過言ではないのでしょう
 
 W氏の求職相談は資産税のコンサルティングに興味があるので同業務をされている会計事務所への紹介を希望しての転職相談でした。
 
 7年に及ぶ会計事務所での経験と専門学校での講師の経験もあり紹介した資産税に強い税理士事務所は即決での採用となりました。もちろんW氏の人柄が33歳の年齢にふさわしい社会人としての風格を感じさせたことも即決採用に繋がったようです。
 
 W氏は転職がモチベーションを高く維持させたのか翌年には最後の相続税法に合格し見事税理士試験に合格、同事務所で税理士登録をされた後も資産税の責任者として所長先生の期待に応えました。
 
 そして4年後に所長先生の援助も受け業務提携を前提に独立開業を果たしたのです。ところがそれから1年数か月してW氏から一通の挨拶状を受け取りびっくりしました。関西では有名な相続に特化した会計事務所へ就職したとのことでした。
 
 独立から勤務への経緯を聞きましたら税理士としての業務より付加価値業務としての相続コンサルティングを極めたくなったとのことでした
 
 W氏はその事務所で相続コンサルティングという責任を問われる激務をこなしました。そして1年半後に再度独立開業をしたのです。挨拶状には相続業務をコアにした事務所を目指しますとの決意が示されていました
 
 それから2年後、御堂筋に事務所を移したW氏に会いにいきました。「遠回りをしましたが税理士として挑戦したい仕事を見つけられたので後悔はしていません。これからが税理士としての本番だと思っています」42歳の働き盛りの挑戦する税理士の姿がそこにありました。

13年目の合格者=前編(Sくんの場合)

 本年の税理士試験合格発表(12月7日)まであと1週間となりました。昨年の合格発表日に官報で合格者の氏名を見ていたときでした。二人の氏名に目が止まり懐かしさがよみがえりました。調べてみると二人とも13年前に求職相談をさせていただき会計事務所へ紹介した方でした。Sくん(男性)とSさん(女性)です。
 
 13年前はお二人とも26歳でした。Sくんとは13年間年賀状のやり取りもありこちらから電話をさせていただきました。元気な張りのある声が返ってきました。「ありがとうございます。実はアイさんから紹介していただいた会計事務所は昨年末に退職し今年の試験には背水の陣で臨みました」とのことでした。
 
 合格祝いもあったのでSくんと飲みに行く約束をしました。久しぶりに会ったSくんとの飲み会は話が弾みました。ひとつの目標を手にしさらなる目標に向かうSくんの目はかがやいていました。13年前Sくんが求職相談に来られた時は、大手銀行を退職し簿記論・財表論はすでに取得し法人税法を受験した後でした。
 
 公認会計士事務所へ紹介したところ銀行での業務経験を評価されすんなりと採用まで行きました。受験した法人税法もその年の合格発表で合格を果たしていました。順調に行けば3~4年で税理士試験に合格するだろうと思っていました。なのに・・・、残りの税法2科目合格までになぜ13年もかかってしまったのか・・・を彼に聞きました。
 
 「間違っていました」Sくんの開口一番でした。Sくんの話はこうでした。必須税法である法人税法に合格したことも自信となりその後は毎年残りの選択税法を2科目受験し続けたとのこと、結果は6年目に1科目合格し残り1科目はさらに6年受験したが合格を果たせず40歳が目の前まで来てしまっていたこともあり、焦りも出てきて12年も勤めた会計事務所を退職し乾坤一擲、背水の陣を敷いたとのこと
 
 彼の失敗とは働きながら税法2科目を勉強したことだと云うのです。働き始めたときに欲張らずに1科目だけにしていたらと反省の弁を述べていました。さらに、最後の1科目に合格したその年の受験後の精神的なプレッシャーは軽いうつ病とまで診断されるほどのダメージだったとのことです。
 
 今年の春、Sくん、いや40歳を迎えたS氏は税理士として大阪のど真ん中、本町で独立開業をしました。そして猛暑となったひと夏が終わりワイシャツに汗の不快感を感じなくなったころS氏から電話が入りました。「運が良かったのか顧問先も少しづつ増えてきました。折り入ってご相談なんですが所員の採用を考えています。近いうちに事務所へ来ていただけませんか」とのことでした。
 
 会計事務所への人材紹介をさせていただいている私にとって何よりこの仕事をしていてよかったと思う瞬間でもありました。

 
後編(Sさんの場合)もご覧ください。

顧問税理士O氏=前編

 今回は人材紹介アイの顧問税理士O氏について書かせていただきます。最近の統計では法人及び個人とも事業所数が不況の影響もあり激減しているようです。開業税理士の方々にとっては厳しい状況が続きます。
 
 暗黙の了解でもあった顧問税理士のいる事業所には営業をかけないとのルールも破れかけています。人材紹介アイへも正々堂々と事務所名を名乗って「顧問税理士には満足されていますか・・・」との営業の電話がかかってきます。税理士業界も競争原理の風が吹き始めたようです。
 
 O氏と出会ったのは23年前、私(人材紹介アイの松本)が資格取得の講座運営会社で会計事務所への人材紹介業務を始めた頃でした。O氏は当時27歳の今で言うイケメンのすっきりしたスポーツマンタイプの男性でした。彼は税理士を目指し会計事務所への就職を希望していた求職相談者でした。
 
 中学時代から硬式野球にのめり込み甲子園を目指し野球の強い高校へ進学したのですがそこでは彼以上の強者が・・・。彼はプロの野球選手を諦め高校を卒業後は舞台装置設営の会社へ入りまじめに働いていました。O氏は将来はそのままサラリーマンとしてやっていくのではなく一人で自立できる仕事を模索していました。
 
 その職業として選んだのが税理士でした。簿記の3級から勉強を始め2級へさらに1級へと進み、私と出会ったのは6月の日商簿記1級の受験を終え結果待ちの7月のある日に求職相談に来た時でした。
 
 会計事務所へ就職するための必須資格である日商簿記2級は合格していましたが会計事務所の実務経験はなく会社経理の経験もありませんでした。何件かの実務未経験者でも可能な会計事務所を紹介しましたが競争が厳しくすべて採用までには至りませんでした。
 
 最後に私から紹介した仕事が私の下で会計事務所への人材サービスの業務に就くことでした。資格取得の講座を運営している会社でもあり税理士講座は無料で受講できること、将来税理士を目指すためにもいろいろな会計事務所を外から見ることも為になると説得しました。
 
 当時はバブルの影響もあり景気も右肩上がりで人材不足が恒常化しており私の職場でも人材を探していました。O氏は8月に結婚する予定もあり経済的にも就職は必然の条件でした。彼と話し合い税理士試験に3科目合格したら会計事務所への転職を再度するとの約束で私の下で仕事をすることになりました。
 
 日商簿記1級にも合格し新婚旅行を終えた8月のお盆明けからO氏は当初の会計事務所ではなく会計事務所をクライアントとする人材サービスの業務に就いたのです。合縁奇縁とはよく云ったものです。

顧問税理士O氏=後編

 自画自賛ではありますが私の見る目は確かだと実証されました。O氏の仕事振りは私を満足させるものでした。年2回の税理士試験後と税理士試験合格発表後に開催する会計事務所就職ガイダンス、年4回発行する会計事務所就職情報誌、そして時代の要請でもありました会計事務所への人材紹介業務も順調に右肩上がりの業績を描けるようになりました。
 
 O氏が入社してから1年後の12月の税理士試験合格発表の日でした。私は外出先でO氏からの電話を受けました。「税理士試験ですが科目合格しました。ありがとうございます」との彼の言葉でした。
 
 昨年入社前に日商1級に合格していたので簿記論に合格したと思いましたが結果は簿記論と財務諸表論の2科目に合格していました。正直すごいことを成し遂げたと驚きました。当時でも仕事と受験の2足の草鞋を履き1年目で2科目合格することは至難の業と云われていました。
 

 振り返って彼の入社してからの1年を思い浮かべました。今でも求職相談に来る受験生へアドバイスさせてもらいますが、彼の税理士になりたいとのモチベーションの高さと受験勉強に対する実行力の強さでした。
 

 彼は毎日昼休み時は愛妻弁当を食べると一人で会議室で勉強をしていましたし、仕事が遅くなり午後8時を過ぎても必ず税理士講座を受けに学校へ行きました。
 
 彼に聞くと2足の草鞋を履いているため受験勉強に時間をかけられないので予習中心の勉強方法を取ったとのこと、昼休みは次の授業の予習にあて授業に間に合わなくても分からないことを事前にチェックできたので必ず講義が終わるまでに学校へ行き担当の先生へ質問をしたとのことでした。
 
 次の年は税法に入りより難易度も上がったせいか合格はできませんでしたが3年目に税法1科目に合格し、当初の約束である3科目合格したら会計事務所への就職を再度チャレンジすることになりました。
 
 彼は実務経験はありませんでしたが3科目合格と会計事務所業界を3年間見てきたことも功を奏しある個人事務所へ転職することができました。転職した1年目は仕事に慣れることもあったのか科目合格はしませんでしたが、2年目には残り2科目の税法も合格し念願の税理士資格を取得しました。
 
 その後は2年ほど事務所勤務を続けながら税理士講座の講師も勤め独立開業を果たしました。『合縁奇縁』と前編で書きましたがO氏が独立した年に私も人材紹介アイを設立し独立しました。そしてO氏に顧問税理士になってもらいました。この16年間顧問税理士の必要性と有り難さをO氏を通じて実感させていただきました。
 
巻頭に記しました『顧問税理士には満足されていますか・・・』との営業の電話に私は自信を持って答えました。『満足どころか感謝をしています』と・・・。

Y氏の長期決戦=前編

 税理士試験合格への戦略として前回は短期決戦を選択した「N君の短期決戦」を掲載しました。今回はその反対として長期決戦を選択した「Y氏の長期決戦」をお伝え致します。
 
  Y氏を知ったのは人材紹介アイの会社名アイの名前をいただいた女性税理士のK先生からお聞きした話でした。K先生とは今から25年前にある税理士の先生に紹介され現在までお付き合いをさせていただいております。
 
  まさに税理士業界での細腕繁盛記を地で行く人生を送られ、本年古希を迎え得度をされました。現在会計事務所は娘婿にまかせご自身はボランティア活動そして世直し活動を自然体として実践されています。ますますご健勝でチャーミングな女性です。(いづれK先生についてはお話をさせていただければと思っています)
 
  K先生の事務所の3階に株式会社天意という会社がありました。読み方をお尋ねすると「あい」とのこと。K先生がなぜその漢字を使われたかは意味が深くこの欄で説明できる自信がありませんので省かせていただきます。また、アイが天意の読み名をいただいた理由も今回は趣旨が異なりますので省かせていただきます。ご理解ください。
 
 実は先にお伝えしたY氏とは上記の通りK先生の会計事務所を引き継がれた娘婿の方です。Y氏は国立体育大学を出られ体育の教師を目指されましたが競争率が高く本意を果たせませんでした。仕方なく外資系の会社へ入社をされ営業職として社会人スタートを切りました。
 
  最初の仕事が会計事務所向けの当時1千万円もする相続シュミレーションをするコンピューターを販売することでした。Y氏が大学を卒業した20数年前は日本はバブルの真っ最中の時でした。会計事務所業界も地価、株価の高騰を受けての相続対策業務が東京から大阪へと広がっていきました。
 
  来る日も来る日も会計事務所を回り3年という歳月が流れたときY氏はK先生と出会い話しをする機会にめぐり合ったのです。
 
  「体育大学を出て体育の教師になれなかったのは残念だけど社会人となり3年を迎えて今将来の夢はなんですか・・・」とK先生に尋ねられY氏は「この3年間会計事務所を回らせていただき税理士の先生と話す機会をいただき今自身も出来れば将来税理士になれればと思うようになりました」と応えました。
 
  Y氏の人生は次のK先生の言葉で一転してしまいます「よかったら私の事務所に来なさい」。Y氏にとっての一期一会でした。Y氏は迷わず応えました「よろしくお願いします」と。

フェイスブック
電話番号:06-6374-8466
ページトップに戻る
関西の会計事務所への人材紹介に特化
人材紹介アイ
〒531-0071 大阪市北区中津1丁目18-18 若杉ビル3F
TEL/FAX 06-6374-8466(代)/06-6374-8467