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‘アイ・縁・喜・縁(ご縁のあった方々の話ー女性編)’

あの日まで、あの日から(前)

 江戸いろはかるたのひとつに「芸は身を助ける」があります。一芸に優れていると困窮したときにそれが生計の助けになるとの諺です。
 
 今回ご紹介する女性税理士のKさん(42歳)は芸を税理士資格に置き換えた稀有な経験をされた方なのです。税理士資格は確かに弁護士、医者と同じように個人一生の仕事として捉えられますが、Kさんの場合は税理士になっていく過程が尋常ではないのです
 
 Kさんは大学進学の際に厳格なご両親から必ず自宅から通える国公立大学へ進むことを条件とされました。薬剤師になりたかったKさんは大阪の国立O大は自信がなく家から通えることを優先し薬学部を諦め国立N女子大学の理学部化学科へ進学します。
 
 卒業後は製薬会社に入り研究部門で薬剤師と一緒に仕事をすることにもなり社会人新生活は充実していました。社会人2年目に知人に紹介された男性とお付き合いをして結婚することになります。会社を退職し専業主婦へと幸せな道を歩み始めました
 
 Kさんの税理士への道は幸せな結婚生活の何気ない日常から始まることになるのです。新婚早々の専業主婦であったことから時間的には余裕がありました。何とかこの時間を有効に使いたいと考えていたKさんはある日書店で簿記の資格取得本を手にします
 
 大学も理系で数字を扱うことに抵抗はなくおもしろそうだと軽い気持ちで日商簿記2級の資格取得本を購入し独学で勉強し1回の受験で合格します。
 
 さらに上級の日商1級も書店で購入した本だけで独学で勉強し受験をするのですがすんなりとは合格をさせてもらえませんでした。1回目も2回目も1、2点差で合格点に届かず相性が悪いと3回目の受験は諦めてしまいます。
 
 そして初めてのお子さん(長女)に恵まれたその頃に資格の学校が発行している情報誌で専業主婦の方が1科目ずつ合格し何年間かで税理士試験に合格した体験記を読みKさん自身も税理士試験への挑戦を決意するのです
 
 何とその時は税理士の仕事が何たるかはほとんど知らなかったと云います。ただ時間を有効に使うことを考えての選択だったと振り返ります。育児をしながらの税理士試験の勉強のため学校には通えないので通信教育を利用しました。
 
 勉強時間はお子さんが昼寝をする午後の2時間とお子さんが寝入ってからの夜の1時間しかしなかったと云います(いや、出来なかったと思います)。ご主人は勉強には理解を示してくれましたがご主人の前でも勉強は極力しなかったそうです。
 
 税理士試験の受験1回目は簿記論でした。何と二人目のお子さん(次女)が生まれた10日後が受験日だったそうです。見事に不合格となりましたと照れ笑いをされます。ただ翌年の2回目の受験では簿記論財務諸表論に見事同時合格を果たします
 
 それからは二人のお子さんの育児をしながらの受験勉強でしかも税法科目になったこともあり、3回目の固定資産税、4回目の固定資産税と消費税法は税法科目の壁を乗り越えることが出来ませんでした
 
 ただ不思議なことに二人目のお子さんが生まれた翌年に簿・財に合格したように5回目の受験の時も三人目のお子さん(長男)が生まれた翌年で固定資産税と消費税法の同時合格を成し遂げるのです
 
 最後の科目は必須税法の所得税法を選択しますが三人のお子さんの育児をしながらの最難関の必須税法の受験勉強です。しかも勉強を開始したのは年が明けてからのこともあり普通に考えても合格レベルに持っていくのは至難の業と言っても過言ではありません
 
 ところがご本人は勉強したことがすべて出題されたと謙遜しますが、驚いたことに所得税法を1回目の受験でしかも7カ月だけの勉強で見事合格し税理士試験の官報合格を勝ち取ってしまいます。おそらく税理士になることが運命付けられていたとしか思われません
 
 税理士試験に合格したのはKさん31歳ご主人が32歳の時でした。税理士試験に合格したKさんは税理士試験から解放されたこともありそれから1年数カ月はご主人と三人のお子さんのため専業主婦に専念し平穏で幸せな日々を過ごしました。
 
 そしてその後、税理士登録の実務経験を積むために自宅近くの税理士法人で時給800円のパート(三人のお子さんがいるので昼過ぎまでが精いっぱいの時間です)で働き始めるのですあの日まで・・・

 
 *(後)編は12月31日(大晦日)に投稿予定です。
 

父の歩んだ道を再び

 女性税理士のNさんから独立開業の挨拶状が届いたのは3月の中旬でした。目を通すとすでに昨年の11月に自宅で独立開業をされ本年4月から新たに事務所を構え業務を始められるとのことでした
 
 Nさんが人材紹介アイの求職相談へ来られたのもちょうど6年前の3月中旬でした。履歴書を拝見してその年に50歳を迎えることを知り見た目の若さとのギャップに驚いたことが記憶に残っています。
 
 Nさんの履歴書には税理士になるまでとなってからの苦戦の軌跡が記されていました。短大を卒業後大手都市銀行へ入り3年後に一部上場企業へ転職します。銀行では一通りの業務を経験し自身に合う仕事を探そうと転職をしますが、退職した銀行から得意先企業でもある上記会社の社長秘書の職を紹介され新たな経験ができると思い転職をします。
 
 数年して人事異動で経理職へ移ることになりそこでの必要性から学んだ簿記の勉強が税理士への道に繋がり会計事務所での苦戦の軌跡が始まります。5年近く勤めたその会社を退職し税理士を目指すために最初にチャレンジしたのは日商簿記1級の取得と受験勉強との両立を考え派遣社員として働くことでした
 
 日商簿記1級と簿記論取得までは順調でしたが財務諸表論と税法科目の勉強に入ってからは思うように進みませんでした。
 
 その間新聞の求人広告を見て応募し採用された会計事務所はあまりにも忙しすぎて受験勉強どころではなく1年で退職します。次にまた新聞の求人広告に応募し採用された会計事務所は急激に顧問先が増え仕事の量に増員が追いつかずまたしても受験勉強ができなくなり1年近くで退職を余儀なくされました。
 
 Nさんは会計事務所での経験を通し働きながらでは税理士試験合格を手にするのは難しいと判断し受験浪人に入ります。その間に財務諸表論と法人税法と消費税法に合格しますが法人税法は5、6回目の受験での合格(正確には憶えていないとのこと)で税理士試験を諦めようかと何度も思ったと云います。
 
 そして最後の税法科目の所得税法は再度派遣社員として会計事務所で働きながらの合格を手にしますが日商簿記1級合格から税理士試験5科目合格迄なんと16年の歳月が流れていました
 
 税理士試験に合格したNさんは再度勤務税理士として会計事務所へ転職をしますがそこではこれまでに経験したことのない勤務税理士としての人間関係の難しさと厳しい現実に出会うことになります。主な仕事が雑用ばかりで税理士業務をさせてもらえなかったり、内勤業務だけで顧問先を担当させてもらえなかったりと税理士資格を取得したにもかかわらず思うような業務に就けない不遇さに戸惑います。
 
 ただ、それによって心が折れたり気持ちがネガティブになったりはしませんでした。Nさんは気持ちを新たに勤務税理士としての仕事を求め再チャレンジする為に人材紹介アイの求職相談へ足を運ばれたのです。
 
 アイからは老舗の大手税理士法人を紹介しました。50歳を手前にしての就職でしたが年の功も活かされる資産税担当として採用されNさんも最後の職場としてひたすら仕事に励みました。何年か後に同税理士法人を訪問した際に所長先生からNさんの活躍ぶりを聞かされたときはNさんにとって最後の職場になれたとの確信を得ました。
 
 そのNさんからの文頭の独立開業の挨拶状でしたので何かあったのではと思いました。今月Nさんの新しい事務所を訪問しました。駅から歩いて5分の幹線道路に沿って建つ瀟洒(しょうしゃ)な3階建てのビルの1階がNさんの新事務所でした。
 
 話を聞くと同ビルは父親が司法書士をされていた時に購入し1階を事務所に2、3階をテナントに貸されていたとのことでした。お父さんは78歳迄仕事をされ8年前に引退し5年前に他界されましたが、その後も書類置き場として事務所を使っておられたとのこと。
 
 Nさん自身も1年前に勤務税理士としての多忙さから将来のことを考え、好きな相続業務の仕事に専念したいこともあり父親の事務所あとでの独立開業を決意されたとのことでした
 
 この4月新しくリニューアルされたお父さんの事務所でNさんはお父さんと同じ自立の道をスタートされました。そして6年前にお会いしたときと同じように、いやそれ以上に若く溌剌としたNさんの姿を見ることができました。

 

オンリーワンの花を求めて

スマップの「世界に一つだけの花」は流行歌と云うより今では人生の応援歌として広く愛される歌になっています。歌詞の中で「ナンバーワンよりオンリーワン」は記憶に残っている方も多いと思います。
 
今回紹介する税理士のSさん(女性、40代前半)は今年の秋にオンリーワンを求めて独立開業をされました。Sさんが税理士試験に合格したのは3年前です。税理士試験に挑戦してから13年目のことでした。
 
Sさんのことはこのブログでも「13年目の合格者=後編(Sさんの場合)」(2012年11月投稿)でご紹介をさせていただきました。あれから2年が過ぎ1通の開業挨拶状を受け取りその差出人がSさんであったことには驚かされました。
 
Sさんに独立開業の経緯を聞いたところ「所長の期待に応えられなかったので・・・」とのこと。税理士である前に所長もSさんも一人の人間としての価値観は違います。その価値観の大きな違いに気付かされ受け入れることが出来ない時は袂を分かつこともありますSさんは退職し独立を選択しました
 
Sさんが税理士を目指したのは新卒として入った大手通信会社が業界再編のため合併され将来への不安から資格取得を求めたからでした。受験と仕事の二足の草鞋(わらじ)を履くことになったSさんは税理士試験の壁ではなく会計事務所での人間関係の壁に当惑しました
 
20代後半で社会人としてもまだ人間関係の複雑さに免疫力を持てないでいたSさんは人間の業に遭遇し戸惑います。社会に出ると云うことはまさに人間を知ることかもしれません。「清濁併せ呑む」とはよく云われますが社会に出ると良いことだけではなく悪いことも同じだけ、いやそれ以上にあることを気付かされます。
 
Sさんが税理士を目指したもう一つの理由に経済的に自立できる女性になりたいとの思いがあります。女性の幸せは結婚にあるとの考え方に共感を持てなかったこともあり、自分の人生は自分で決めたいとの気持ちが強かったからです
 
税理士試験に合格するまでの13年間は挫折し諦めかけた時もありましたが、Sさんの中に自立したい自分がいたからこそ合格を勝ち取れたのかもしれません
 
今月、Sさんにお会いしました。顧問先もゼロからの出発ですが「楽しんでやっていきます」と笑って云うSさんの言葉に強がりを言っている印象は受けませんでした。それどころかSさんの聡明さと清々(すがすが)しささえ感じました。
 
Sさんはすでに自立への道を歩き始めていました。新しい名刺は3分の1を自身の顔写真にしました。税理士らしくないと云っては失礼ですが素敵な笑顔です。これからはまず目立つことを優先していきますと自身の変貌を宣言します。
 
11月にはフェイスブックを再開し12月からはブログの投稿もスタートしました。ブログの名称には地元を愛する心意気を感じます副題に「女性起業家・経営者を応援します!」の真摯な言葉が添えられています。気負わない素直なSさんが表現されているブログです。
 
驚かされたのは2回目の投稿でした。「大学院に進学します」の題名でした。入学金を銀行で納付した際、担当の女性事務員から「お子さんのですか?」と聞かれ「私のです」と答えたら驚かれたと笑わせてくれます。
 
そのブログにも記されていましたが、大学院への進学は退屈するのが嫌だからとのことですが自立する女性への選択でもあると思いました
 
Sさんにどんな事務所を創りたいかを聞きました。勤務税理士をしていた時に月次顧問料の必要性に疑問を持ったと云います。理想かもしれないとは前置きしますが、経営者に直接会い税理士としての必要性を理解していただいての顧問料を実現したいと云います
  
大学院では経営学を選択しマーケティングや経営分析の知識を学びたいそうです。税理士の顧問報酬は月次決算作成としての報酬ではなくあくまでもプロの税理士としての知識及び技術の伝達であり教育の報酬でありたいと云います
 
冒頭で記したスマップの「世界に一つだけの花」の歌詞に「一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい」の言葉があります。Sさんは税理士として自立した女性の道を歩き出しました。おそらく世界に一つだけの税理士である自身の花を咲かせることでしょう
 
Sさんのブログにある「読者になる」のボタンをクリックしました。

 

ピアノからコンピュータ

 TⅤの番組で「丁寧」の語源を説明していました。「丁寧」は昔、中国の軍隊で警戒や注意の合図に使った金属製の打楽器のことで、それがいつしか親切で礼儀正しいことを意味する言葉になったとのことです
 
 人材紹介アイへ毎月15日過ぎに葉書「ありがとう通信」が届きます。発行はN税理士事務所の所長Nさん(女性)です。Nさんの近況報告が数枚の写真と丁寧な思いやりに溢れた文章で送られてきます。Nさんの親切な人柄が飾り気なく表現されているのです
 
 この「丁寧」さはNさんが音大出身のピアニストだったことと上記の語源の意味とをそれとなく連想させるのです。
 
 Nさんとお会いしたのは11年前の税理士試験合格発表後のクリスマスを前にしたある日の求職相談でした。その年の税理士試験で5科目目の消費税法に合格し税理士試験に合格していました
 
 音大を卒業しピアノの教室を開きましたが社会経験も浅いNさんにとっては厳しい現実が待っていました。教室の継続が難しくなり就職を余儀なくされたのです。
 
 ただ世の中はバブルの追い風もあり大手の情報処理会社へ就職が決まり何とSEとして働くことになるのです。ピアノの鍵盤からPCのキーボードを叩く日々が始まりました将来のNさんの天職となる税理士を目指すきっかけがこのSEの仕事から訪れるのです
 
 入社して5年も経ち仕事にも自信を持ち始めたころある会社の経理システムの構築を担当することになりました。「減価償却とは・・・?」経理知識の必要性を痛感したNさんは独学で簿記の勉強を始めました。
 
 簿記の面白さにとりつかれたNさんはその後会社を退職し何と日商簿記1級まで取得してしまいますその延長で税理士試験へチャレンジし翌年には簿記論と財務諸表論の2科目同時合格を果たしました。さらに2年後には最難関の必須税法の所得税法に合格し翌年の相続税法を受験した後に会計事務所へ転職しました

 そして同事務所で働きながら5科目目の消費税法を受験した後に同事務所を退職し合格発表を待ったのです。税理士試験に合格したNさんはレベルの高い業務を求めて求職相談に来られました。1年も満たない会計事務所での経験よりNさんの人柄が決め手となり紹介した税理士事務所から即採用内定を勝ち取りました
 
 それから7年近くが過ぎNさんが再度求職相談に来られました。今度は次のステージを求めての相談でした。現況の説明をさせていただきNさんの判断を待ちました。Nさんは独立の決意をしました所長先生の信頼もあり当初は業務を一部請け負うことから税理士として自立を始めたのです
 
 毎年の年賀状には「何とかやっています・・・」との一筆が添えられていましたが、独立開業から4年たった昨年の秋に初めて頂いた「ありがとう通信」はすでに31号と記されていました。もう2年半もクライアントへ届けていたことが分かります
 
 先日、事務所にお伺いさせていただきました。Nさんらしい優しさと暖かさを感じる事務所でした。妻として、母として、そして税理士として充実した日々を送られていました
 
 税理士試験まであと2か月でしたのでNさんに受験時代のこの2か月の過ごし方をお聞きしました。詳しくは人材紹介アイのFB(フェイスブック)へ投稿しています。本年受験される方はぜひ参考にしてください

鉄の女は税理士を越えるか

 「言ってほしいことがあれば、男に頼みなさい。やってほしいことがあれば、女に頼みなさい」この言葉を残したのはこの4月に87歳で亡くなった元英国首相のサッチャー氏です。英国の初の女性首相で新自由主義的経済改革(サッチャリズム)から「鉄の女」との異名をとった女性です
 
 今回紹介する方は女性税理士のNさんです。Nさんの強い意志と行動力を見ていると「鉄の女」がオーバーラップしてきます。Nさんと初めてお会いしたのは14年前の税理士試験が終わったお盆休みを前にしたある日の午後でした。
 
 その年は所得税法を受験しお盆休み明けからの会計事務所への就職の為に求職相談に来られたのです。はっきりとした言葉遣いと目力の強さが印象的でした
 
 地方の高校を卒業しそのまま地元の国立大学へ進学するのをやめ大阪の会計専門学校へ進学しました。都会にあこがれていたNさんは大阪へ出て大企業へ早く勤めたかったのです。専門学校では在学中に合格するのは難しい日商簿記1級を取得し念願の大企業への内定を勝ち取り卒業後はその会社で安定したOL生活を楽しんでいました。
 
 ≪鶏頭と為るも牛後と為るなかれ≫の諺はNさんの為にあるような言葉でした。大企業の安定したOL生活は自身の求めている道ではないと気付いたNさんは専門学校時代の友人が目指していた税理士の道を自身も選択するのです
 
 そして大企業のOLを辞め受験浪人となり2年後の税理士試験で簿記論と財務諸表論に同時合格を成し遂げました。ただ税法だけは高い壁となり立ちはだかります。簿財合格から3年目の税理士試験後には会計事務所へも初めて勤めましたが抱いていた事務所像からは遠いものでした。
 
 その年の暮の合格発表で必須税法の法人税法に合格したNさんは翌年の確定申告終了後にその事務所を退職し所得税法を目指し再度受験浪人に入りました。そして受験後に人材紹介アイの求職相談に足を運んだのです。
 
 Nさんは初めに紹介した会計事務所からすぐに内定を取り付け8月下旬から就業しました。その年の税理士試験合格発表では受験した所得税法は見事合格していました。現在の受験生では考えられない必須税法2科目の合格を果たしたのです
 
 仕事にも頭角を表しました。所長先生は顧問先の経営者からの信頼を得ているとのことで高く評価をされていました。ただ仕事と受験の両立は難しかったのか最後の消費税法は2年続けて不合格になったのです。
 
 Nさんは心機一転、三度(みたび)受験浪人をして最後の消費税法に臨み税理士合格を勝ち取りました。その後は税理士として会計事務所で勤務税理士として働き専門学校時代からお付き合いをしていた彼氏が会計士試験に合格したことをきっかけに結婚をし会計事務所を退職しました。
 
 その後6年近くは年賀状のやり取りをしていましたがある日メールが届きました。ブログを立ち上げましたとのことでした。お子さんも保育所へ預けられるようになり税理士業務を再開したとのことでした
 
 そして昨年の9月に夫と共に自らの会計事務所を開業したのです。この春、大阪では造幣局の遅咲きの桜がニュースになり始めたころNさんとお会いしました。Nさんはすでに次のステージを模索していました。
 
 もしかしたら大企業のOLだけではなく税理士さえも乗り越えてしまうのでは・・

 

13年目の合格者=後編(Sさんの場合)

 13年目に官報合格で名前がよみがえったもう一人のSさんの話をさせていただきます。Sさんが13年前に求職相談へ来られたことは実のところ記憶に残っていませんでした。ただ職業柄氏名だけは記憶の片隅に残っていました。過去の面談記録を調べていくうちに記憶の扉が少し開いてきました。
 
 13年前のSさんは関西の有名私大を卒業後大手通信会社へ勤めていましたが業界の再編のなかで会社が合併されることになり、将来への不安から組織に依存するのではなく自立して生きていける税理士を目指そうと決意し求職相談に来られたのでした。ただ資格も簿記2級しか持っておらずこれから税理士試験にチャレンジする状況でした。
 
 本人もこれから受験勉強に入るので会計事務所へはアルバイトとして勤務することを希望していました。当時の記録では開業したばかりの若手の先生の税理士事務所へ紹介しアルバイトとして採用されたことが記されていました。その後その先生の事務所は大阪でも有数の大型事務所へ発展していきましたがSさんのことは記憶の中から消えてしまいました。
 
 13年後の昨年の官報合格者を見て氏名だけが記憶の中によみがえってきたのですがこちらから連絡は取りませんでした。ところがそのSさんから人材紹介アイのホームページより人材登録と求職相談のメールが送られてきたのです。お会いするのを楽しみに求職相談の日を迎えました。
 
 Sさんは年齢を感じさせないほど若く聡明な方でした。税理士試験に合格していたこともあり開放感を感じさせるほど明るい方でした。ただ、職務経歴書を見させていただきSさんの13年の道程の厳しさを垣間見ることになりました。
 
 この13年間当初は会計事務所を4事務所も渡り歩き、4科目まで合格したのに外資系会社の経理へ転進し4年後に再度会計事務所へ転職、税理士試験に合格した後に再び退職をしていました。
 
 Sさんからそれぞれの転職理由を聞きました。この欄には記載できない理由もありましたがやはり受験と仕事の二束の草鞋を履くことの現実の壁に打ちのめされ、4科目合格した後はバーンアウトしてしまい税理士試験を諦めると同時に人生にも諦め遺書も書いたとのことでした。
 
 外資系会社で4年間働き税理士試験から離れたことが幸いしメンタリティーもリセットでき再度残りの1科目にチャレンジするモチベーションにもなったそうです。最後の事務所は税理士合格したことが理由となり退職せざるをえなかったとのこと。
 
 現在、Sさんは自らおっしゃっていますが尊敬できる先生のもとで勤務税理士として日々仕事に励んでいます。先月数名の女性税理士と昼食会を設けSさんをお呼びしました。皆さん溌剌と凛とした女性税理士です。Sさんも負けないほどの輝きを放っていました。
 
Sさんの人生のオセロゲームは税理士試験合格によりすべてがSさんの色にひっくり返りました。

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