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‘アイ・縁・喜・縁(ご縁のあった方々の話ー女性編)’

父の歩んだ道を再び

 女性税理士のNさんから独立開業の挨拶状が届いたのは3月の中旬でした。目を通すとすでに昨年の11月に自宅で独立開業をされ本年4月から新たに事務所を構え業務を始められるとのことでした
 
 Nさんが人材紹介アイの求職相談へ来られたのもちょうど6年前の3月中旬でした。履歴書を拝見してその年に50歳を迎えることを知り見た目の若さとのギャップに驚いたことが記憶に残っています。
 
 Nさんの履歴書には税理士になるまでとなってからの苦戦の軌跡が記されていました。短大を卒業後大手都市銀行へ入り3年後に一部上場企業へ転職します。銀行では一通りの業務を経験し自身に合う仕事を探そうと転職をしますが、退職した銀行から得意先企業でもある上記会社の社長秘書の職を紹介され新たな経験ができると思い転職をします。
 
 数年して人事異動で経理職へ移ることになりそこでの必要性から学んだ簿記の勉強が税理士への道に繋がり会計事務所での苦戦の軌跡が始まります。5年近く勤めたその会社を退職し税理士を目指すために最初にチャレンジしたのは日商簿記1級の取得と受験勉強との両立を考え派遣社員として働くことでした
 
 日商簿記1級と簿記論取得までは順調でしたが財務諸表論と税法科目の勉強に入ってからは思うように進みませんでした。
 
 その間新聞の求人広告を見て応募し採用された会計事務所はあまりにも忙しすぎて受験勉強どころではなく1年で退職します。次にまた新聞の求人広告に応募し採用された会計事務所は急激に顧問先が増え仕事の量に増員が追いつかずまたしても受験勉強ができなくなり1年近くで退職を余儀なくされました。
 
 Nさんは会計事務所での経験を通し働きながらでは税理士試験合格を手にするのは難しいと判断し受験浪人に入ります。その間に財務諸表論と法人税法と消費税法に合格しますが法人税法は5、6回目の受験での合格(正確には憶えていないとのこと)で税理士試験を諦めようかと何度も思ったと云います。
 
 そして最後の税法科目の所得税法は再度派遣社員として会計事務所で働きながらの合格を手にしますが日商簿記1級合格から税理士試験5科目合格迄なんと16年の歳月が流れていました
 
 税理士試験に合格したNさんは再度勤務税理士として会計事務所へ転職をしますがそこではこれまでに経験したことのない勤務税理士としての人間関係の難しさと厳しい現実に出会うことになります。主な仕事が雑用ばかりで税理士業務をさせてもらえなかったり、内勤業務だけで顧問先を担当させてもらえなかったりと税理士資格を取得したにもかかわらず思うような業務に就けない不遇さに戸惑います。
 
 ただ、それによって心が折れたり気持ちがネガティブになったりはしませんでした。Nさんは気持ちを新たに勤務税理士としての仕事を求め再チャレンジする為に人材紹介アイの求職相談へ足を運ばれたのです。
 
 アイからは老舗の大手税理士法人を紹介しました。50歳を手前にしての就職でしたが年の功も活かされる資産税担当として採用されNさんも最後の職場としてひたすら仕事に励みました。何年か後に同税理士法人を訪問した際に所長先生からNさんの活躍ぶりを聞かされたときはNさんにとって最後の職場になれたとの確信を得ました。
 
 そのNさんからの文頭の独立開業の挨拶状でしたので何かあったのではと思いました。今月Nさんの新しい事務所を訪問しました。駅から歩いて5分の幹線道路に沿って建つ瀟洒(しょうしゃ)な3階建てのビルの1階がNさんの新事務所でした。
 
 話を聞くと同ビルは父親が司法書士をされていた時に購入し1階を事務所に2、3階をテナントに貸されていたとのことでした。お父さんは78歳迄仕事をされ8年前に引退し5年前に他界されましたが、その後も書類置き場として事務所を使っておられたとのこと。
 
 Nさん自身も1年前に勤務税理士としての多忙さから将来のことを考え、好きな相続業務の仕事に専念したいこともあり父親の事務所あとでの独立開業を決意されたとのことでした
 
 この4月新しくリニューアルされたお父さんの事務所でNさんはお父さんと同じ自立の道をスタートされました。そして6年前にお会いしたときと同じように、いやそれ以上に若く溌剌としたNさんの姿を見ることができました。

 

大寒(冬)から立春(春)へ

平成27年の1月も早いもので今日で終わりです。季節の移り変わりを古(いにしえ)の人は「二十四節気」と云って1年を24の期間に区切り各時期を2文字で表現しました。1月は小寒と大寒2月は立春と雨水です。1月終わりから2月初めは二十四節気では大寒(冬)から立春(春)へと変わる季節です。

昨年12月初旬の税理士試験の合格発表で不合格だった受験生にとっては、二十四節気で示すと12月(大雪と冬至)、1月(小寒と大寒)は落ち込んで人生の真冬を感じさせられることになりますが、2月(立春と雨水)、3月(啓蟄と春分)は新たな希望を感じる表現へと季節が移るにつれて気持ちを立て直し、夏の税理士試験へ向けて再び動き出すのもこの季節の変化が後押しをしてくれるからかもしれません。

今回はこのブログのアーカイブから税理士試験不合格から気持ちを立て直し再度挑戦者として税理士試験へ立ち向かっていった印象に残る方を紹介します。最初に紹介するのは「冬来たりなば春遠からじ」(2014年2月)の女性税理士Sさんです。

父親が税理士のSさんは自身も税理士を目指します。そのためか会計事務所での仕事はより高いレベルへ敢えて挑戦しました。税理士資格は3科目合格と大学院での修士修了で取得を目指しましたが修士論文が認定されず税法2科目の試験合格を余儀なくされます

Sさんは二足の草鞋を履きながら(働きながら受験勉強をする)二兎(二科目合格)を追います。一科目の税法合格は成し遂げましたが最後の一科目の時に仕事への意欲から更なる挑戦をします。より高いレベルの会計事務所の仕事を求め転職をするのです

さすがのSさんも業務に忙殺され力尽きてしまい最後の一科目の合格は手にすることは出来ませんでした。ただ仕事では自身の限界まで挑戦したSさんは遠回りにはなりましたが後悔はしませんでした

仕事の面白さを知ったからです仕事の面白さを知ればこそ税理士の資格の必要を感じたのです。そのモチベ—ションがSさんに半年の受験浪人を選択させ最後の1科目合格を確実にさせたのです。Sさんは昨年の春郷里で開業をしました

次に紹介するのは「D判定を逆転V判定へ」(2013年6月)のA氏です。A氏は大学卒業後サラリーマンから家業の手伝いを経て税理士を目指し会計事務所へ勤めます。その会計事務所では15年勤め副所長の重責を担い税理士試験も3科目合格までになっていました

A氏は40歳を機に決意をします。現職のままでは多忙過ぎて税理士試験には合格できないと考え1年間限定の受験浪人に入り残り2科目の合格に賭けたのです。結果は1科目のみ合格で再度会計事務所へ勤務し最後の1科目を受験することになりますが2年続けて不合格となります。

年齢、経験からもその事務所では幹部候補としての仕事を任されます。3年目に入りその事務所での仕事にも慣れたこともありA氏は最後の1科目の合格を決意しある行動に出ます

確定申告後に所長へ直訴をしたのです。「今年の税理士試験で税理士合格を果たしたいので今後は退社時間を早くさせてください」と。所長は了承してくれました。有言実行、絶対合格を敢えて自らに課したのです

ところが税理士試験2か月前の模擬試験では何とD判定(合格不可能)でした。A氏は最後の賭けに出ました過去問の徹底分析です。そして「窮すれば通ず」が現実になります。予想問題が浮かんできたと云いますそして予想問題は正夢になったのです

A氏の不退転の決意が有言実行となり税理士試験合格の夢を正夢にしたのです。A氏は今税理士法人となったその事務所で幹部税理士として活躍しています

成功には近道や必要とされる能力があるわけではなく成功するまで諦めずにやり続けることだと云われます。SさんもA氏も与えられた環境の中で自身の選択した道を精一杯やり続けたからこそ今があると思われます

大寒から立春へと移り変わるこの時期にあらためて気持ちを立て直し,夏の税理士試験に向けて自らの選択した道を精一杯継続してください。

季節の移ろいを表現している二十四節気そして七十二候に自身を重ねて見ると、そこには偶然ではなく必然のつながりの中に生かされている自身が見えるかもしれません

あなたは今、二十四節気のどこに自身の姿を見つけますか。

オンリーワンの花を求めて

スマップの「世界に一つだけの花」は流行歌と云うより今では人生の応援歌として広く愛される歌になっています。歌詞の中で「ナンバーワンよりオンリーワン」は記憶に残っている方も多いと思います。
 
今回紹介する税理士のSさん(女性、40代前半)は今年の秋にオンリーワンを求めて独立開業をされました。Sさんが税理士試験に合格したのは3年前です。税理士試験に挑戦してから13年目のことでした。
 
Sさんのことはこのブログでも「13年目の合格者=後編(Sさんの場合)」(2012年11月投稿)でご紹介をさせていただきました。あれから2年が過ぎ1通の開業挨拶状を受け取りその差出人がSさんであったことには驚かされました。
 
Sさんに独立開業の経緯を聞いたところ「所長の期待に応えられなかったので・・・」とのこと。税理士である前に所長もSさんも一人の人間としての価値観は違います。その価値観の大きな違いに気付かされ受け入れることが出来ない時は袂を分かつこともありますSさんは退職し独立を選択しました
 
Sさんが税理士を目指したのは新卒として入った大手通信会社が業界再編のため合併され将来への不安から資格取得を求めたからでした。受験と仕事の二足の草鞋(わらじ)を履くことになったSさんは税理士試験の壁ではなく会計事務所での人間関係の壁に当惑しました
 
20代後半で社会人としてもまだ人間関係の複雑さに免疫力を持てないでいたSさんは人間の業に遭遇し戸惑います。社会に出ると云うことはまさに人間を知ることかもしれません。「清濁併せ呑む」とはよく云われますが社会に出ると良いことだけではなく悪いことも同じだけ、いやそれ以上にあることを気付かされます。
 
Sさんが税理士を目指したもう一つの理由に経済的に自立できる女性になりたいとの思いがあります。女性の幸せは結婚にあるとの考え方に共感を持てなかったこともあり、自分の人生は自分で決めたいとの気持ちが強かったからです
 
税理士試験に合格するまでの13年間は挫折し諦めかけた時もありましたが、Sさんの中に自立したい自分がいたからこそ合格を勝ち取れたのかもしれません
 
今月、Sさんにお会いしました。顧問先もゼロからの出発ですが「楽しんでやっていきます」と笑って云うSさんの言葉に強がりを言っている印象は受けませんでした。それどころかSさんの聡明さと清々(すがすが)しささえ感じました。
 
Sさんはすでに自立への道を歩き始めていました。新しい名刺は3分の1を自身の顔写真にしました。税理士らしくないと云っては失礼ですが素敵な笑顔です。これからはまず目立つことを優先していきますと自身の変貌を宣言します。
 
11月にはフェイスブックを再開し12月からはブログの投稿もスタートしました。ブログの名称には地元を愛する心意気を感じます副題に「女性起業家・経営者を応援します!」の真摯な言葉が添えられています。気負わない素直なSさんが表現されているブログです。
 
驚かされたのは2回目の投稿でした。「大学院に進学します」の題名でした。入学金を銀行で納付した際、担当の女性事務員から「お子さんのですか?」と聞かれ「私のです」と答えたら驚かれたと笑わせてくれます。
 
そのブログにも記されていましたが、大学院への進学は退屈するのが嫌だからとのことですが自立する女性への選択でもあると思いました
 
Sさんにどんな事務所を創りたいかを聞きました。勤務税理士をしていた時に月次顧問料の必要性に疑問を持ったと云います。理想かもしれないとは前置きしますが、経営者に直接会い税理士としての必要性を理解していただいての顧問料を実現したいと云います
  
大学院では経営学を選択しマーケティングや経営分析の知識を学びたいそうです。税理士の顧問報酬は月次決算作成としての報酬ではなくあくまでもプロの税理士としての知識及び技術の伝達であり教育の報酬でありたいと云います
 
冒頭で記したスマップの「世界に一つだけの花」の歌詞に「一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい」の言葉があります。Sさんは税理士として自立した女性の道を歩き出しました。おそらく世界に一つだけの税理士である自身の花を咲かせることでしょう
 
Sさんのブログにある「読者になる」のボタンをクリックしました。

 

Yさんとサッカーと

 今月は何てったって『サッカー』です。4年に一度のワールドカップです。侍ジャパンは残念ながら1次リーグ敗退となりました。サッカーの面白さは攻守が瞬時に入れ換わることです。ピンチがチャンスへ、チャンスがピンチに現実が予想を裏切ります
 
 税理士試験もサッカーのように合否と云う現実が良くも悪くも瞬時に予想を裏切ります。今回紹介するYさん(女性)は現在40代半ばの開業税理士です
 
 Yさんとお会いしたのは11年前の1月でした。前年の税理士試験では最後の1科目となった法人税法は4回目の受験で自信もありましたが官報に名前は載りませんでした。今でも印象に残っていますが最後の法人税法の壁に足止めされ、発想がネガティブでやる気を失っている様子がはた目から見てもわかるほどの落ち込み様でした。
 
 Yさんは地元の県立高校を卒業し医薬品メーカーに就職、4~5年経ったころ大学への進学を思い立ち働きながら学べる通信制の短大への進学を選択します。同じころに地元の商工会で開催された簿記講習会へ参加し簿記の面白さを知ったYさんは税理士試験の受験資格を得られることもあり短大では商経科を選択します
 
 入学した短大で友達が税理士を目指していることがYさんの税理士試験へ挑戦する気持ちを固めるきっかけになるのです。短大を卒業した春にYさんは本格的に税理士試験への挑戦を始めます。なんと7年間勤めた会社を退職し税理士試験の専門学校へ入学します。
 
 そして翌年からは2年ごとに見事に合格(2年目簿記論、4年目は財表論と消費税法、6年目に相続税法)を果たします。Yさんはオリンピック〈冬季&夏季〉が開催される年にはどういうわけか合格できましたと照れ笑いをされます。
 
 もちろんその間も会計事務所の勤務をしながらの受験でした。上記6年目の受験の年は相続税法と法人税法(2回目)の同時合格を目指し会計事務所を退職して受験浪人として背水の陣を敷きます
 
 しかし父親が亡くなるというアクシデントに遭遇し両科目の合格は諦めていましたが相続税法は合格していたのです。良い意味での税理士試験の裏切りでした。Yさんは「相続税法は父が合格させてくれたと思っています」と振り返ります。
 
 その後1年間は企業へ派遣社員として勤め3回目の法人税法を受験しますが不合格、次の1年は再度会計事務所へ転職しますが受験との両立が難しく体調を壊し1年も経たず翌年の税理士試験3か月前に退職することになります。それでも2年ごとの合格を目指し法人税法(4回目)の受験に専念しますが結果は不合格でした。悪い意味での税理士試験の裏切りでした。
 
 オリンピックイヤーには必ず合格していた税理士試験が最後に残した法人税法だけは思う通りの結果とはなりませんでした。Yさんは落ち込みました。文頭に記したYさんとお会いしたのはその時でした。
 
 Yさんには監査法人系の税理士法人でのアルバイトを紹介しました。事務所の留守番が主な仕事で受験勉強も暇なときは認めてくれました。その為か5回目受験となる法人税法は見事に合格し官報合格を果たしたのです
 
 合格したYさんに税理士法人の先生は正社員での転職を勧めてくれました。年が明け大手会計事務所を再度紹介し2月から勤務税理士としてのスタートを切ったのです。その年の春に同事務所を訪問した時にお会いしたYさんの変貌ぶりには、人はこんなにも変われるものかと驚いたほど明るく溌剌としたYさんがそこにはいました
 
 Yさんは4年後に同事務所を円満退職し独立開業をします。そして6年が過ぎた今月にブログでの紹介の為に訪問させていただきました。今回お会いして驚いたことがありました。文頭に記した短大へ進学する際に占い師の方に30代後半に一生できる仕事に就きオーナーになっていると云われたそうです税理士になり独立した年がまさにその年と重なったのです
 
 人生前半戦では攻守を繰り返したYさんのシュートは見事に決まりました人生後半戦も必ず素晴らしいゴールを決めてくれることでしょう

鉄の女は税理士を越えるか

 「言ってほしいことがあれば、男に頼みなさい。やってほしいことがあれば、女に頼みなさい」この言葉を残したのはこの4月に87歳で亡くなった元英国首相のサッチャー氏です。英国の初の女性首相で新自由主義的経済改革(サッチャリズム)から「鉄の女」との異名をとった女性です
 
 今回紹介する方は女性税理士のNさんです。Nさんの強い意志と行動力を見ていると「鉄の女」がオーバーラップしてきます。Nさんと初めてお会いしたのは14年前の税理士試験が終わったお盆休みを前にしたある日の午後でした。
 
 その年は所得税法を受験しお盆休み明けからの会計事務所への就職の為に求職相談に来られたのです。はっきりとした言葉遣いと目力の強さが印象的でした
 
 地方の高校を卒業しそのまま地元の国立大学へ進学するのをやめ大阪の会計専門学校へ進学しました。都会にあこがれていたNさんは大阪へ出て大企業へ早く勤めたかったのです。専門学校では在学中に合格するのは難しい日商簿記1級を取得し念願の大企業への内定を勝ち取り卒業後はその会社で安定したOL生活を楽しんでいました。
 
 ≪鶏頭と為るも牛後と為るなかれ≫の諺はNさんの為にあるような言葉でした。大企業の安定したOL生活は自身の求めている道ではないと気付いたNさんは専門学校時代の友人が目指していた税理士の道を自身も選択するのです
 
 そして大企業のOLを辞め受験浪人となり2年後の税理士試験で簿記論と財務諸表論に同時合格を成し遂げました。ただ税法だけは高い壁となり立ちはだかります。簿財合格から3年目の税理士試験後には会計事務所へも初めて勤めましたが抱いていた事務所像からは遠いものでした。
 
 その年の暮の合格発表で必須税法の法人税法に合格したNさんは翌年の確定申告終了後にその事務所を退職し所得税法を目指し再度受験浪人に入りました。そして受験後に人材紹介アイの求職相談に足を運んだのです。
 
 Nさんは初めに紹介した会計事務所からすぐに内定を取り付け8月下旬から就業しました。その年の税理士試験合格発表では受験した所得税法は見事合格していました。現在の受験生では考えられない必須税法2科目の合格を果たしたのです
 
 仕事にも頭角を表しました。所長先生は顧問先の経営者からの信頼を得ているとのことで高く評価をされていました。ただ仕事と受験の両立は難しかったのか最後の消費税法は2年続けて不合格になったのです。
 
 Nさんは心機一転、三度(みたび)受験浪人をして最後の消費税法に臨み税理士合格を勝ち取りました。その後は税理士として会計事務所で勤務税理士として働き専門学校時代からお付き合いをしていた彼氏が会計士試験に合格したことをきっかけに結婚をし会計事務所を退職しました。
 
 その後6年近くは年賀状のやり取りをしていましたがある日メールが届きました。ブログを立ち上げましたとのことでした。お子さんも保育所へ預けられるようになり税理士業務を再開したとのことでした
 
 そして昨年の9月に夫と共に自らの会計事務所を開業したのです。この春、大阪では造幣局の遅咲きの桜がニュースになり始めたころNさんとお会いしました。Nさんはすでに次のステージを模索していました。
 
 もしかしたら大企業のOLだけではなく税理士さえも乗り越えてしまうのでは・・

 

13年目の合格者=後編(Sさんの場合)

 13年目に官報合格で名前がよみがえったもう一人のSさんの話をさせていただきます。Sさんが13年前に求職相談へ来られたことは実のところ記憶に残っていませんでした。ただ職業柄氏名だけは記憶の片隅に残っていました。過去の面談記録を調べていくうちに記憶の扉が少し開いてきました。
 
 13年前のSさんは関西の有名私大を卒業後大手通信会社へ勤めていましたが業界の再編のなかで会社が合併されることになり、将来への不安から組織に依存するのではなく自立して生きていける税理士を目指そうと決意し求職相談に来られたのでした。ただ資格も簿記2級しか持っておらずこれから税理士試験にチャレンジする状況でした。
 
 本人もこれから受験勉強に入るので会計事務所へはアルバイトとして勤務することを希望していました。当時の記録では開業したばかりの若手の先生の税理士事務所へ紹介しアルバイトとして採用されたことが記されていました。その後その先生の事務所は大阪でも有数の大型事務所へ発展していきましたがSさんのことは記憶の中から消えてしまいました。
 
 13年後の昨年の官報合格者を見て氏名だけが記憶の中によみがえってきたのですがこちらから連絡は取りませんでした。ところがそのSさんから人材紹介アイのホームページより人材登録と求職相談のメールが送られてきたのです。お会いするのを楽しみに求職相談の日を迎えました。
 
 Sさんは年齢を感じさせないほど若く聡明な方でした。税理士試験に合格していたこともあり開放感を感じさせるほど明るい方でした。ただ、職務経歴書を見させていただきSさんの13年の道程の厳しさを垣間見ることになりました。
 
 この13年間当初は会計事務所を4事務所も渡り歩き、4科目まで合格したのに外資系会社の経理へ転進し4年後に再度会計事務所へ転職、税理士試験に合格した後に再び退職をしていました。
 
 Sさんからそれぞれの転職理由を聞きました。この欄には記載できない理由もありましたがやはり受験と仕事の二束の草鞋を履くことの現実の壁に打ちのめされ、4科目合格した後はバーンアウトしてしまい税理士試験を諦めると同時に人生にも諦め遺書も書いたとのことでした。
 
 外資系会社で4年間働き税理士試験から離れたことが幸いしメンタリティーもリセットでき再度残りの1科目にチャレンジするモチベーションにもなったそうです。最後の事務所は税理士合格したことが理由となり退職せざるをえなかったとのこと。
 
 現在、Sさんは自らおっしゃっていますが尊敬できる先生のもとで勤務税理士として日々仕事に励んでいます。先月数名の女性税理士と昼食会を設けSさんをお呼びしました。皆さん溌剌と凛とした女性税理士です。Sさんも負けないほどの輝きを放っていました。
 
Sさんの人生のオセロゲームは税理士試験合格によりすべてがSさんの色にひっくり返りました。

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