2016,12月
税理士N氏の『合格まで合格から』(中)
今月の16日に税理士試験の発表がありました。今回のN氏の投稿にも税理士試験合格に必要な5科目の合格のためにその2倍から3倍の不合格を経験したとあります。苦い経験を乗り越えての合格、そしてさらに実務経験の壁が立ちはだかります。N氏の投稿(中)をお読みください。
大学院修了後は、一般の企業に勤めました。学歴は全く関係のない職場です。ここから数年は、非常に苦しい時期が続きました。最終的に試験には5回受かっていますが、その2倍から3倍の不合格がありました。
特に最後の1科目には、数年かかりました。「今年こそは受かる」と思った年に不合格だった時、涙は全く出ませんでしたが、横になったまま身体がピクリとも動かせなくなりました。多くのことを犠牲にしてきました。友人も切りました。家族も切捨てました。そのことを考えると、悔しくて、恥ずかしくて、動けなくってしまったのです。
ただ、そんな私にも官報合格を果たしたときがあったのです。安堵の気持ちはありましたが、喜びや達成感はほとんどありませんでした。ストイックにならないとダメだと自分に言い聞かせてきたことが馬鹿らしく、そのことへの悔しさが自然と涙になりました。
受験生の方には酷な話かもしれませんが、合格したところで何も変わらないのです。変わってはダメなのです。何かを犠牲にしなければ、受験を乗り越えることが出来ないのは現実でしょう。しかし、犠牲にしたものは一生戻ってきません。それに耐える強さも必要ですが、それよりも、必要以上に何かを犠牲にする必要はないのではないかというのが、今の私の考えです。
さて、なんとか税理士試験には合格しましたが、私には実務経験が全くありませんでした。35歳にして会計事務所へ転職することは勇気が入りましたが、迷いは全くありませんでした。
税理士試験に合格しているということもあり、中規模の税理士法人に採用してもらうことが出来ました。全くの未経験ではありましたが、試験に合格していたこともあり、なんとかなるだとうという楽観的な気持ちで臨みました。雇って頂いた税理士法人の側でも、多少は使い物になるだろうという期待もあったようです。
ところが、実務は甘くはありません。当初はほとんど戦力になれず、非常に苦労しました。規模が拡大しつつあった税理士法人でもあり、35歳の新人に丁寧に指導する体制は何もありませんでした。
一番困ったのは、会計ソフトと申告ソフトの操作です。次に困ったのが、クライアントからの資料収集などです。受験勉強では、会計ソフトや申告ソフトは無縁です。クライアントとの打合せや資料提供を通じての事実確認という大切な過程も、受験の世界には存在しません。これらの実務感覚をつかむのに1年近くの期間を要してしまいました。
受験時代に、きちんと腰の座った勉強をしたつもりでいましたから、実務でも多少は仕事ができるだろうという甘い考えがありました。これは、受験勉強に専念してきた人達が陥る誤解だと聞きます。私もその例外ではなく、その勘違いを犯していたのです。
会計事務所デビューから最初の1年程は、レシートの整理や会計ソフトの入力方法を覚えることで精一杯です。最初に勤めた会計事務所は、あまりうまく行かず、残念ながら丸1年経験せずに退職しました。多少の実務のコツもつかみ始めた頃でしたが、一から出直したいという思いがありました。
最初に勤めた税理士法人は、受験予備校系列の人材紹介会社から、勧められるままに決めましたが、次の就職先は、自分自身で良く考えました。どうせならば、トップレベルの先生のもとで経験(修行)をしたいと思い、本格派として業界でも知られるK先生のもとに絞りました。
大変厳しい会計事務所として有名でしたが、その会計事務所への紹介実績が複数あるという話を聞きつけ、大阪の人材紹介アイさんを訪ねました。
税理士N氏の『合格まで合格から』(上)
今回は税理士N氏の投稿です。N氏は強く印象に残る税理士でした。5年前に求職相談でお会いしN氏自身が希望する会計事務所を紹介させていただきました。N氏は期待以上の仕事をされ本年円満退職し独立開業をしました。N氏の今日までの軌跡をN氏の投稿からお読みください。
私が税理士試験の受験勉強を始めたのは、22歳の時でした。22歳といえば、大学を卒業する頃ですが、私は、まだ大学三回生になったばかりの時でした。高校時代はクラブ活動に没頭し、大学浪人の初期にはアルバイトに熱中し、結局、普通より2年も遅く大学に進学していたからです。
今思えば、大変理解のある両親と、裕福とは言わないまでも、それなりに恵まれた経済環境にあったのだと思います。関西のいわゆる有名私大に進学しましたが、自分にはもったいない程の学歴を得たものだと、当時はそれなりに嬉しかったことを覚えています。
その一方で、大学へ進学できたのは、自分の能力や努力というよりも、2年間も浪人することが出来た恵まれた家庭環境のお陰だという気持ちがありました。苦労して学業を積み重ねた友人たちに対し、とても後ろめたい気持ちが少なからずありました。
私が税理士受験にチャレンジしてみようと思ったきっかけは、この後ろめたい気持ちと無縁ではありません。大学三回生にもなると、周りが就職活動で動き始めます。私も、その波に乗っていれば、おそらく、普通のサラリーマンにはなれていたでしょう。
2年浪人したのにも関わらず、大学では体育会に入部し、全国レベルの有名選手たちとそれなりに真面目に活動をしていました。当時は、暗黙の『体育会系枠』というのがあったようで、まわりを見渡してみても、決して不利な就職戦線を戦うとは思えませんでした。
しかし、大学生の就職活動というのは、やはり学歴(大学名)がものを言う世界です。両親の金銭的余裕で得た学歴に後ろめたさを感じていた私は、それならば、いっそ学歴の関係のない世界で勝負してみようという無謀な志をもったのです。
資格商売を営んでいる人が、なぜその資格を取ったのかと問われた時、「その職業に魅力を感じたから」と答えるべきだということは、よく知っているつもりです。ただこれは、その後の後日談や美談であって、実際にはそういう人ばかりではありません。
少なくとも私は、学歴以外のところで勝負してやろうという妙な野心と、自分の実力なら税理士くらいが限界だろうという冷静な打算、これが税理士試験受験の動機でした。国家試験というものに挑戦してみようというチャレンジ精神が、税理士試験の受験勉強を始めたきっかけでした。
学習は簿記3級の独学(通信)からはじめ、3級・2級を受験せず、約半年で一気に1級まで進みました。学歴を捨てると決めましたから、受験資格に1級が必要だと考えたからです。結果は、わずかに届かず。合否という面からは失敗からのスタートでした。
しかし、ここで大きな収穫がありました。合否云々を超えて、純粋に勉強自体が面白いなと感じ始めたのです。それなりに、のめり込みました。すぐに、簿記・財表の学習をはじめます。1級取得にこだわりたい気持ちもありましたが、これは素直に諦めました。諦めたことは残念でもありましたが、今振り返ってみると、受験勉強での妥協は、これが最初で最後です
半年間の学習を踏まえ大学四回生の8月に、はじめての税理士試験に挑みました。合格発表の前に、私立の大学院に3校合格します。第一志望だった神戸大学の大学院は不合格でした。入試の結果から、一番学費が安く済む大学院に進みました。結果的に、学部から院への内部進学でした。簿財の勉強から会計学の面白さを知り、もっと勉強をしたいという学問に対する純粋な気持ちが出始めていた頃です。
さて、ここで、大学院による試験免除と税理士受験との関係に言及しておかなければなりません。結論から申し上げると、私は、簿・財・所・法・消の5科目に合格しています。
修士号を持っていますので、申請をすれば簿・財の2科目が免除だったようです(当時は2科目免除)。大学院への進学について試験免除狙いの動機が皆無だったかと問われれば、皆無とまでは言い切れないでしょう。
しかし、学歴で勝負しないと誓った以上、免除申請は私にとってはタブーです。簿財の一度目の受験は失敗していましたので、大学院入学後の最初の4ヶ月は、必死に簿財の受験勉強をしました。大学院での課題もありましたので、大変でしたが、相乗効果もありました。
幸運にも、大学院に入った年に簿財に合格することができました。ここまでは、比較的順調な受験勉強でした。
*次回(中)に続く。